安価な「大衆車」が求められていた1961年、トヨタは満を持して「パブリカ」を発売するが、販売実績は期待はずれの結果に。急速な高度経済成長という事業環境の変化についていけなかったことが失敗の要因だった。ただ、そのあとトヨタは失敗の学びから、より確度の高い渾身の一手をすぐに打ったことで、その後、販売台数世界一となる車種を生んだのだ。
パブリカの手痛い失敗があって生まれた“世界一”
失敗から正しく学び次の手を打てば、大きな成功へと昇華
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