「現代のテクノロジーにも、歴史を使って説明できることがある」。
早稲田大学の入山章栄教授は、「ブロックチェーン技術」と「株仲間」を例に挙げ、歴史を学び再現する重要性を提示する。
歴史と経営、ビジネスそして生き方。
何がどうつながり、生かされるのか。上杉謙信にまつわる歴史を再検証した歴史家・乃至政彦氏の著作『謙信越山』を切り口に、「歴史から得る学び」を丁寧に分解する。
最終回は、歴史から学ぶ難しさとその奥深さを語り合う。
前回までの記事はこちら
第1回:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57953
第2回:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57956
第3回:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57957
アメリカ人は「神話」から学ぶ
乃至政彦(以下、乃至) 入山先生にお聞きしたかったことがあります。アメリカなど経営学が発展している国で「歴史を学び、現代に生かす」文化や意識はどれほどあるのでしょうか。
日本人と大きく変わらないのか、伺いたいです。
入山章栄(以下、入山) 断言できるほどではなくて恐縮ですが、歴史を教養として学んでいる方は多い印象を持っています。
ただ、彼らの場合は史実というよりも宗教から学ぶことが多く、宗教観が行動に影響する部分が大きいと思いますね。
例えば昨今は、企業が行う社会貢献活動、いわゆる「SDGs」がトレンドになっていますが、その理由について興味深い話を聞いたことがあります。
アメリカの企業がSDGsを積極的に導入する理由の一つは「最後の審判」じゃないか、というものです。
キリスト教では、死ぬ時に天国に行くのか地獄に行くのか最後の審判を受ける。その時に現世で徳を積んでいないと天国に行けないわけですよね。
彼・彼女らにはそういう宗教観があるので、お金を儲けたら社会に還元しないと天国に行けないと考えているのではないか、SDGsが進む一つの理由にはなっているんじゃないかと考える方がいるんですね。
真偽のほどはわかりませんが、宗教、あるいは宗教をきっかけに歴史を捉えていく感覚は日本よりも強い印象があります。
乃至 そうなんですね。日本にいると宗教の影響力はそこまで感じませんが、過去の教訓を生かす文脈で、例えば経営史以外の、例えば文化史や軍事史から経営に取り込まれる文化はあるのでしょうか。
入山 これも断言はできませんが、学際的に交わっている印象はあまりないですね。
実はわたしもそこにすごく興味がありまして、先ほど少し触れていただいた拙著『世界標準の経営理論』──この本はハーバードビジネスレビューでの連載をまとめたものなのですが──、一つだけ載せなかった章があるんです。
それが「歴史とテクノロジーと経営理論」という章。
前提として、経営学は「人間を探求する学問」です。ビジネスは人間がやっているので、人間って「そもそもこうしますよね」「組織はこう機能するよね」という基礎的な理論があります。
であれば、現代のビジネスに起きている現象というのは、昔のことにも当てはまるんじゃないか、と考えた。実行しているのは同じ人間ですから。
当時、考えていたのは昨今も注目されている「ブロックチェーン技術」についてです。
技術はもちろん最近のものなんですけど、やっていることは江戸時代の「株仲間」と変わらないのではないか? 株仲間って、わたしの理解では「台帳をシェアする」もの。台帳をシェアするから不正をやらないで、機能する。ブロックチェーンも「分散型台帳技術」と言います。つまり、やっていることの本質は変わらない。
そんな例が見えてきて、テクノロジーの本質って、過去と変わっていないんじゃないか?と思ったんです。
大げさに言えば、現代のテクノロジーにも、歴史を使って説明できることがある。逆に言えば、歴史を振り返れば現代の技術力で再現すべきことも見つかるんじゃないかなと最近考えています。