もしかしたら、「さくらさくら」のメロディーは、このとき進攻した日本軍の兵士が大和民族のルーツに触れて懐かしさを覚え、思わず口ずさんだものかも知れない。ほんとうのところはわからないが、私には内モンゴルで聞いた甘酸っぱい思い出のメロディーである。
力づくで進められる漢民族への同化政策
だが1945年、日本は第二次世界大戦に負けて、満州や内モンゴルから退去した。
4年後の1949年、中国共産党が支配する中華人民共和国が誕生し、清朝政府の後継者を公言して、内モンゴルを自国領として引き継いだ。内モンゴルにとっては、また新たな試練に晒されることになった。試練は21世紀の今日になってもなお続いている。いや、前にも増して過酷になった。
昨年秋から、内モンゴルの小中学校ではモンゴル語による授業が大幅に減らされ、漢語による授業が大幅に増やされた。習近平指導部による同化政策強化の一環だ。
かつて私が聞いた鳥のさえずりのような美しいモンゴル語が、今や消滅の危機に瀕しているのだ。