東日本大震災から10年、島国である日本の津波対策はどれほど進化したのだろうか。世界中の経験則は、命を守るのは科学者ではなく住民であることを教えてくれる。日本の場合、その住民は新たな防災準備に関する意思決定にしっかりと参画できているのだろうか。つまり、住民が納得できる対策になっているのかという疑問だ。
震災後の最重要課題は災害の再発防止である。どんな大地震であれ、どんな大津波であれ、どんなゲリラ豪雨であれ、災害による死者を出さないことが最も重要なのは言うまでもない。理屈抜きで「災害ゼロ」を実現する──。それが東日本大震災で津波被害を受けた地域のみならず、日本国民全体の願いだろう。
3・11が近づくにつれ、現地の復興の様子や被害者の将来への決意などを特集するメディアが増えている。中には、津波としては最大の被災地だった釜石での防波堤建設の話や、想定34メートルの津波を想定した高知県の防災対策など、大変参考になる話題も少なくない。百年に一度の津波を想定した防波堤が完成しつつある今になって、千年に一度の津波の情報がもたらされたと驚く地元住民の声を掲載したものもある。
もっとも、「水害ゼロ」という視点の防災は可能なのかという報道を、筆者は寡聞にして見たことがない。百年に一度のリスクの話を住民に説明したのに、政府自身は千年に一度のリスクを試算しているという大きな食い違いに迫った記事も見たことがない。
防災の理屈や確率論については、核心を突いた内容を分かりやすく説明しない限り、一般人にはなかなか伝わらないものだ。東日本大震災の後も、熊本大震災や毎年のように「十年に一度」というレベルの被害をもたらすゲリラ豪雨が起きていることを考えれば、日本国民が求めているものは「水害ゼロ」を実現するような対策のことだろう。
では、実際に「水害ゼロ」の実現は達成可能な話なのだろうか。むしろ不可能なことだからメディアは触れないのだろうか。本稿では、それについて論じてみたい。