韓流ドラマの「冬のソナタ」が放送されていた2003~2004年頃、日韓関係は非常に良かったと記憶しているのは筆者だけではあるまい。冬ソナは、主演のヨン様(ペ・ヨンジュン)が日本で大人気になり、日本人の韓国旅行も一気に増えた。ストーリーも、本人同士の恋にそれぞれライバルがいて、また親も絡むウェットな世界の中で、最後はハッピーエンドで結ばれるという日本人受けするもので、日本人と韓国人の嗜好が似ていることを強く感じさせた。
この時期は、河野談話(1993年)から10年が経っている。金大中大統領(2003年まで任期)が、韓国政府として当時の平成天皇陛下の呼称を「日王」から「天皇」と改めるなど、両国全体として関係良化が進み始めた頃で、冬ソナ現象はその代表例だったと言える。
韓国人と日本人はDNAが一つしか違わないといわれる。事実、日本人や韓国人でも外見では違いがわからないことが多い。話し言葉のイントネーションも似ていて、特に北陸地方の訛りに似ていると言っても過言ではないように感じる。筆者が韓国に出張してきた経験では、街中を一人歩いても言葉を話さなければ誰も日本人だと気付かず、両国民がいがみ合っていることを忘れてしまいそうだった。
また、筆者は第19代駐日韓国大使の申珏秀氏に、彼が国連代表部参事官時代に二度、駐日大使の時に一度会っているが、極めて紳士的で従軍慰安婦の問題は避けて通れないとしつつも、それは河野談話で基本的には解決していることとし、良好な日韓関係の構築を希望していた。過去は消せないとしても、未来は未来の人が作るとの発想だった。
日韓の将来はどうなっていくべきなのか。本稿では、朝鮮民族の血を引き、日本で活躍した東郷重徳元外相について触れつつ、考えてみたい。彼は、2月28日付拙稿「日本による『五回目の侵攻』を恐れる文在寅の妄執」で取り上げた東郷和彦京都産業大学教授の祖父である。