令和2(2020)年は新型コロナウイルス感染症の蔓延でオリンピック・パラリンピックをはじめ、ほとんどの行事が中止や制約され、明るくなかった。
そこで、令和3年は明るいテーマから取り上げたかったが、皇室に対する「杞憂」が払拭できず、この小論を書くことにした。
これまで眞子内親王の小室圭氏との婚約に関して、日本を代表される貴種としての品位が保たれ、かつ国民の尊敬を得られるかという観点から、主として内親王のご決意に疑問*1を呈してきた。
皇嗣家の内親王が結婚される相手は、実現すればゆくゆくは天皇の娘婿であり、さらには悠仁親王が皇位に就かれた暁には天皇の義兄となる立場の人物である。
皇嗣殿下が結婚をお認めになられながら、小室家に改めて「見える形での対応」を求められたことについて、マスコミは400万円超の金銭問題と報じているが、果たしてそうであろうか。
この程度の金銭で問題を起こすのは情けなく、小室家の対応姿勢は疑われてしかるべきである。
しかし、殿下はお立場から「見える形」としか口外されないが、筆者にはもっと本質的な指摘、すなわち「出自(の明確化)」に思えてならない。
皇室や皇族は内外に日本を代表する立場にあり、品位が求められている。その品位の根源は出自であり、国民が結婚を敬仰するためには、相手方の出自が明確でなければならない。
ところが小室家の出自がはっきりしないどころか、報道の限りでは「黒い霧」に包まれている。
「見える形」とは正しくこの黒い霧を払拭する「家系」の提示ではないだろうか。
*1=「眞子内親王の婿選びが教える『女性宮家』の危うさ(2020.12.16)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63257、「皇室の弥栄は皇胤の存続があってこそ」(2019.11.1)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58114、「恋は盲目では済まされない秋篠宮家の内親王」(2019.6.24)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56804