一見、同じように見える“まち”でも、成り立ちや歴史を踏まえて見直すと、それぞれ全く違うまちの趣が浮かんでくる。そして、そういった細かな違いを楽しむことが、最近注目されるマイクロツーリズムでは重要と言える。

「全国に点在する城下まちも、一つひとつ個性があります。城下まちは、わずか50年ほどの間に全国で一斉に作られた計画都市ですが、その構造は時期や地域の状況で変わります。さらに、当時の城下まちが近代の商業都市として引き継がれているのも注目すべき点です」

 そう分析するのは、都市工学の専門家である國學院大學新学部設置準備室長の西村幸夫教授。城下まちそれぞれにある「個性」とはどんなものなのか。そもそも50年ほどの間に作られた背景とは。同氏の話を紹介する。

【前回の記事】住民が作った魅力、城崎温泉の「弱点」がシンボルに(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62984

國學院大學 新学部設置準備室長・教授の西村幸夫氏。1952年生まれ。博士(工学)。東京大学工学部都市工学科卒業、同大学院修了。東京大学教授、同副学長、マサチューセッツ工科大学客員研究員、コロンビア大学客員研究員、フランス社会科学高等研究院客員教授、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)副会長などを歴任。専門は、都市保全計画、景観計画、歴史まちづくり、歴史的環境保全。

世界的にも、この短期間で一斉に作られた計画都市は珍しい

――今回は“城下まち”について詳しく聞きたいと思います。はじめに、城下まちは50年ほどの間にできた計画都市だと伺いました。どういったことでしょうか。

西村幸夫氏(以下、敬称略) 全国に200以上ある城下まちは、戦国時代終盤の1570~1580年代頃から作られ始め、江戸時代に入って1610年代頃までに開発されたものがほとんどです。

 わずか50年ほどで全国200の城下まちが出来上がり、大部分が明治までは都市の骨格としてあり続けてきたのです。通常、これほどの数のまちは数百年かけて作られていくもの。開発期間の短さは、世界的に見ても非常にユニークです。

 同時期にできた宿場町も同じことが言えます。徳川幕府が江戸・日本橋を起点とした「五街道」を築き、街道沿いに宿場町が一斉に出来上がりました。開発の規模は違いますが、こちらも、短期間で広範囲に作られたまちなのです。