これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)

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平成8年:49歳

 想い描いたストーリーに沿って、阿品工業団地の新工場は10月に竣工した。

 工場建設も3回目になると多少の経験も積み、設計は工場設計に精通した事務所に依頼し、施工も工場建設に熟練スタッフを抱える企業を入札で選んだ。

 お陰で設計や建築段階での時間が大幅に割愛され、恭平はラクになる一方で少し物足りなさも感じていた。

 この工場で初めて、社長室を図面に描き込んだ。

 当初の設計士案では、社長室は眺望が一番良い一画にあった。しかし恭平は、この一等区画は社員が集うカフェテリアに譲り、自らは社員の出入りが把握でき社員から確認され易いよう、入り口横の受付の隣に、床から天井までガラス張りの社長室を設置した。

 見晴らし抜群のカフェテリアで開催した祝賀会は、当時の人気テレビ番組「料理の達人」を模し、恭平が行きつけの「和食」「洋食」「中華」「寿司」各店のオーナー調理人を招いて、「食べ比べショー」を実演。

 各オーナー調理人が腕によりをかけたメニューは実に見事で、来賓客の多くが会話もそこそこに舌鼓を打つ様を眺め、恭平は満悦気分に浸った。

 加えて、恭平を有頂天にさせたのが、山上五郎市長の祝辞だった。

「皆さん、この祝賀会の会場はいかがでしょうか。甘宮市にも沢山のレストランがありますが、世界遺産の宮島が望め、甘宮市はもちろん広島市内まで一望できるレストランは、この社員食堂が一番でしょう」

「普通の社長だったら、間違いなくここは社長室です。でも、本川さんは最高の場所を社員に提供して、自分は入り口近くの受付みたいなところに座っとる。それが本川さんのエエトコです。それがダイナーウイングのエエトコです」

(さすが、山上五郎!)

 自慢したかった設計意図を瞬時に見抜き、その魂胆をスピーチに活かして恭平の自尊心をくすぐる山上市長の祝辞を聴き、その人心掌握術に舌を巻きながら恭平は雀躍した。

 恭平の挨拶は前回同様に挨拶状に記し、スピーチは極力短く抑えた。