そんな中でマレーシアの野党指導者アンワル・イブラヒム氏が「表現の自由など自由には責任を伴う」とフランスを批判する一方で「とはいえ殺人を称賛し、流血事件の犯人を擁護するような余地は存在しない。それはイスラム教徒の姿ではない」という発言は注目に値するが、現状では決してこうした意見、考え方がイスラム教徒多数の支持を得ている訳でも、大きく報道されることもない、という現実がある。

インドネシアでは「多宗教」のアイデンティティーが喪失の危機

 イスラム教を「国教」と規定する「イスラム教国」マレーシアとは異なり、多くの学者や評論家がたびたび間違いを犯しているが、インドネシアはイスラム教徒の人口世界最大(人口世界第4位の約2億7000万人のうち約88%を占める)ではあるものの、イスラム教は「国教」ではない。従って「イスラム教国」ではない。

 建国の父スカルノ大統領が多民族、多文化、多言語、多宗教のインドネシアを独立国家として一つにまとめるために「イスラム教、キリスト教、ヒンズー教、仏教、儒教」の5つの宗教を認めたという歴史的経緯があるのである。

 ただ、イスラム教徒による圧倒的多数を背景にしたイスラム規範、習俗の「押し付けや強要」が近年インドネシアでは幅を効かせていることも事実で、急進派、保守派と称される一部過激な組織、集団による「イスラム教徒に非ずんばインドネシア人にあらず」的主張がインドネシア社会に軋轢を生んでいるのも事実である。

 国是としてスカルノ大統領が掲げた「多様性の中の統一」「寛容の心」がないがしろにされる傾向が強まっているという現実に直面し、インドネシア人としてのアイデンティティーが危機にさらされているとの指摘も多く出ている。