(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)
朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が10日未明、ソウル市郊外の北岳山で遺体となって発見された。同市長の死は、秘書の女性Aが朴市長をセクハラで訴えたことを苦にした自殺とみられている。
市長の死は、政府与党に大きな衝撃を与えた。政府与党関係者は言葉を失い、市民の間からは両極端で過激な反応が見られる。市長の死は最終的には22年の次期大統領選挙にまで波及するのではないかとの観測もみられる。朴市長の死について考えてみたい。
真の市民運動家だった朴市長、ただ二面性を指摘する声も
わたくしが大使をしていた時に、朴市長は初めてソウル市長に当選した。朴市長は、わたくしが韓国語を話すので親しくお付き合いしていただき、時にはソウル市の職員食堂の別室で食事をしたり、市長の自室に招いてくれたりした。市長室の会議テーブルには、常に一つ空席が置かれており、朴市長は「ここには(架空の)市民が座って、市長の仕事を見守っているという意識で仕事をしている」と述べていた。
朴市長は、市民運動家として慰安婦問題などに強い連帯を抱いていたことから、反日的な言動がたびたび見られたので、日本人にとってイメージはあまりよくなかったのではないかと思う。慰安婦問題が再燃した時、市内バスに置かれた慰安婦像を模した人形を抱きしめたりした過剰なパフォーマンスには、正直わたくしもがっかりした。
また、朴市長は韓国進歩市民社会の礎となる参与連帯を設立し、2000年代初頭からは「美しい財団」、「希望製作所」などを設立し寄付運動を繰り広げたが、デイリー新潮によれば両財団は韓国トヨタやトヨタ財団から寄付を受け取っていたという。朴市長は日本製品不買運動を主張していた人物である。その当人が設立した財団が、日本企業から寄付を受けていることには違和感を覚える。
しかし、朴市長がセクハラを告発された後、一切言い訳をせず自殺したのを見て、市民運動家の心は失っていないのではないかと思った。遺書には「全ての方に申し訳なく思う。私の人生で一緒にしてくださったすべての方に感謝します。苦痛ばかり与えた家族にはずっと申し訳なかった。火葬して父母の墓にまいてほしい。みなさんさようなら」と書いてあった。ただ、そこにセクハラをしたA秘書にお詫びの言葉がなかったのは残念なことである。