6月29日、ソウル視聴者で記者会見に臨んだ時の朴元淳氏(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

 朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が10日未明、ソウルの山中で遺体となって発見された。前日の9日午後、朴市長の娘からの失踪届けを受けた警察が捜索を始めてから7時間後のことだ。

 ソウル市長3選に成功し、与党の次期大統領候補の一人にも挙げられていた大物政治家の死について、警察は「他殺の痕跡が見つからない」と言い、自殺であることを示唆している。いったい朴市長はなぜ自殺を選んだのだろうか。この疑問を解くためにも、韓国メディアが伝えた朴市長の行動を追ってみよう。

突如、全ての予定をキャンセル

 8日、朴元淳市長は精力的に公式日程を消化していた。午後には、共に民主党の李海チャン(イ・ヘチャン)代表と李洛淵(イ・ナクヨン)議員に会い、最近の政局に対する意見を交換した。

 この時、李洛淵議員とは、ソウル市のグリーンベルト(開発制限地域)解除を巡り、意見の対立があったと伝えられている。文在寅(ムン・ジェイン)政権になってから住宅価格が急騰したため、文在寅政権の不動産対策に国民的な非難が集中している。そこで李洛淵議員は、「ソウル市の住宅価格の安定のためにグリーンベルトを解除し、住宅供給を拡大しなければならない」と述べたわけが、これに対して朴市長は「グリーンベルトは子孫のために残すべきだ」と主張したという。

 8日の夕方には、共に民主党の初当選、再選議員らとの会食があった。マッコリを添えた会食は20時30分ごろまで行われたが、随行員と一緒に出席した朴市長は終始ご機嫌だったと伝えられている。

 そして問題の9日。この日、なぜか朴市長はすべての日程を取り消した。手始めに早朝に予定されていた朝食会をキャンセルし、さらにソウル市庁に電話をかけ「体の具合が悪くて出勤できない」と伝えた。

 だが、朴市長は公邸で静養しているわけではなかった。10時44分、朴市長は黒い登山用服に紺色の帽子をかぶり、リュックサックを背負って鍾路区嘉会洞(チョンノグ・カフェドン)のソウル市長公邸を出る姿が確認されている。