我々が、北朝鮮の金正恩委員長の死亡説に翻弄させられていた時に、北朝鮮(以後、北)首脳部は、何をしていたのか。
金正恩氏が長期間姿を見せなかったのは、平壌を離れて、対韓・対米戦略を練り直していたようだ。私は、そこまでは考えていなかった、甘かった。
妹の金与正氏は、韓国政府を罵倒し、そして南北友好の象徴施設を爆破した。これまでの融和政策から一転して過激な行動に出始めた。
このことは気まぐれでできるものではない。北首脳部が戦略を周到に練って作成し、金正恩氏の決裁を得て決まったことだ。
このような戦略転換が、短期間にできるものではない。今過激な行動に出ているのは、十分に準備され実行されているものであろう。
コロナ避難説や死亡説が出ている最中に、検討していたと見ると、時期的に上手く重なる。
6月16日、南北共同連絡事務所を木端微塵に爆破した。
北は、韓国政府に合意事項を守らせようしたのだろう。とは言え、これは、やりすぎではないか。ここまでやってしまうと、南北融和の方向には戻れないと思う。
そうであるのに、北が強硬姿勢に転じることができた自信はどこからきているのか。
私は、JBpress(6月22日)の記事に、韓国を孤立させれば、韓国に軍事侵攻して勝利できるだけの軍事力を整備し、完成しつつあると書いた(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/61008)。
つまり、在韓米軍が韓国に存在しなければ、北による武力統一が可能になったということだ。