となりの恒星に探査機を送る「ブレイクスルースターショット計画」の発表会で登壇したフリーマン・J・ダイソン教授(中央奥)。中央手前はスティーブン・ウィリアム・ホーキング博士。(2016年4月12日撮影、写真:ロイター/アフロ)

(小谷太郎:大学教員・サイエンスライター)

 英国出身の物理学者フリーマン・J・ダイソン教授(1923–2020)が、2月28日(アメリカ東部夏時間)に亡くなったことが報じられました。転倒して病院に運ばれてから3日後のことでした。

 ダイソン教授は量子力学、原子力工学、数学などの広い分野で活躍し、また宇宙の生命や知性について真剣に考察しました。オリオン計画やダイソン球などのアイデアは、世界の少年少女の心をときめかせました。追悼文には「宇宙文明の設計者」「未来学者」「永遠の大学院生」などの賛辞が並びます。

 ダイソン教授の多岐にわたる業績を残らず紹介することは、この限られたバイト数ではとうてい無理ですが、そのいくつかを、心をときめかせたかつての少年としてここに紹介しましょう。

ダイソン青年、英国空軍に奉仕しそこなう

 幼いころから暇さえあれば物理や数学の問題を解いていたダイソン少年は、英国の名門ケンブリッジ大学トリニティカレッジに進学しました。

 しかし第二次世界大戦が起きると、ダイソン青年は勉学を中断し、英国空軍オペレーションズリサーチ部門で働くことになりました。(本来なら)戦略を研究する、空軍のブレインとでも呼ぶべき機関です。

 ダイソン青年は、英国の爆撃機の損害を数学的に解析し、経験を積んだ乗組員と新米乗組員で死亡率に差がないことを見つけました。空軍の公式見解によると、乗組員が出撃を重ね経験を積めば撃墜される率は下がるはず(なのでひるまず出撃すべき)でしたが、それは誤りだったわけです。

 ダイソン青年はまた、英国製爆撃機の2台の銃座は無い方が帰還率が上がると提案しました。解析によると、銃座はドイツ軍の戦闘機を防ぐ役に立っておらず、爆撃機の飛行速度を下げるばかりでした。