ドレフュス事件の裁判(Wikipediaより)

 ホロコースト、ポグロムなど、レイシズムに起因する数多の悲劇はどんな時になぜうまれるのか。ファシズムが台頭していた第2次世界大戦中に、人種差別の本質を鋭く問いかける名著があった。『菊と刀』の著者が時代を超えて私たちに提示する解決の方法とは。(JBpress)

(※)本稿は『レイシズム』(ルース・ベネディクト著、阿部大樹訳、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。

排外主義の歴史

 レイシズムの研究をしていると、そのドクトリンが政治的な利害関係から形づくられたり、煽り立てられたりすることがあらゆる国で頻繁に起きていると分かる。

 ある時は血のつながった兄弟のように国と国が結びつき、またしばらくすれば宿命の仇敵として憎み合う。

 第一次世界大戦の前、イギリスの歴史家カーライルとJ・R・グリーンは勇ましいゲルマン系部族がイングランド人の祖先であるとしていた。

 しかし1914年には、「ドイツ人は1500年前の蛮族だった頃とまったく変わっていない、我らの祖先を攻め立てて、ローマ帝国の文明を破壊した頃から進歩していない」と。かつて東からやってきたモンゴル帝国の「フン族である」とまで言っている。

 そしてロシアは同盟国側についていたから、ケルト人の魂だとかスラヴ人の精神性だとかには丁重な言葉が並べられている。

 国家的レイシズムの歴史は、排外主義の歴史そのものである。私たちがヨーロッパの歴史を学び、生物学的な遺伝や慣習の受け継がれていく様式について知り、そして好戦的な愛国主義と一線を引くことができれば、レイシズムは雑音として消えていくに違いない。

 しかし私たちが傲慢無知であったり、あるいは恐慌に煽られて平常心を失うとき、分かりやすくて耳に心地よい物語がそっと忍び入る。自暴自棄になったとき、私たちは誰かを攻撃することによって自分を慰める。

 物語は、一方で私たちを時代の正統なる相続人と褒めそやし、もう一方で他者を根絶するべき劣悪な血族と貶す。この半世紀をみる限り、レイシズムの幹となっているのは科学ではなく政治である。

 現代というナショナリズムの時代には、レイシズムは政治家の飛び道具である。遠ざけたい相手がいれば罵詈雑言をまき散らし、そして協力しておきたい相手がいるときには美辞麗句を送り合う。