国際オリンピック委員会(IOC)はスポーツと政治の分離を唱える。だが第2次世界大戦直前、オリンピックは国際政治情勢に翻弄されざるを得ない運命にあった。1938年、世界各国が日中戦争に反発するなか、第12回東京大会は中止に追い込まれてしまう。戦火と国策が「平和の祭典」に与える影響を、元NHK記者・橋本一夫氏の著書『幻の東京オリンピック』からひもとく。全2回。(JBpress)
(※)本稿は『幻の東京オリンピック』(橋本一夫著、講談社学術文庫)より一部抜粋・再編集したものです。
日中戦争が影を落とす
(前編)ヒトラーから「東京」へ、血塗られた“平和の祭典”
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57845
1938(昭和13)年は東京オリンピックの運命を決する年になる、と誰もが予測していた。大会を開催するとなれば、メーンスタジアムなどの競技施設は年内にも着工せねば間に合わなくなるし、逆に返上するならば、これまた早期に決定しないと代替開催都市の準備に支障をきたすからである。
しかし、東京オリンピックに暗影を落とした日中戦争は、年が改まってもいっこうに終結の兆しがみえなかった。近衛内閣は1月16日、「帝国政府は爾後国民政府を対手(あいて)とせず」という有名な声明を発表する。日本と中国国民政府との完全な関係断絶を招いたこの声明は、日中戦争解決のための大きな障害となり、早期和平は望み薄となってしまった。
このころから海外では、東京オリンピックをめぐる新しい動きが具体化してきた。交戦国である日本でのオリンピック開催を疑問視し、開催地の変更または東京大会のボイコットを提唱する国が現れてきたのである。