恵まれた環境と能力を生かしてほしい

 上野千鶴子が昨年の「東京大学学部入学式」の祝辞でつぎのように述べている。「これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです」

「研究職となると、助教の女性比率は18.2%だが、准教授で11.6%、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません」

 他方、実際の男女平等意識についても、将来権力ある地位に進むことが多い東大生にたいして、次のようにノブレス・オブリージュを説いている。「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」

「フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」

「一番遅れているのがテレビ局」

 日本人の品位は日本の女が一身に引き受けていた。わたしは若いときにそう考えた。わが母、人の母、日本人の母たちの姿(山本周五郎の『日本婦道記』に描かれたような母、妻、女)をみて、あきらかに男より女は上だと思った。しかしいまではその幻想も砕けた。男並みにバカになり、この点では男女平等になったのである。

 TBSの早朝番組「はやドキ!」の水曜日担当の解説者柴田秀一氏(元TBSアナウンサー、現日本大学法学部教授)は「男女平等ランキング」の日本の順位を見て、「一番遅れているのはテレビ局。女性の社長や役員をひとりもみたことがない。自省もこめていっておきます」とはっきり明言した。そばにいたふたりの女子アナは、いきなりの大胆発言に、そんなこといって大丈夫なのか、という顔をして、反応に困惑気味であった。ひさしぶりに骨のある発言を聞いたと思った。

 男尊女卑も男女格差もパワハラもセクハラも賃金格差も、世間で問題になっているものはテレビ局に全部ある。柴田氏のように考える男は稀有である。立法・司法・行政に関わる男たちはいうに及ばず、メディア界や広告業界にも稀有である。日本ではいまだにセクハラ法ひとつできていない。性犯罪に対しては大甘である。このままでは、もう75年経っても日本の男は変わらないだろう。