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(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 この日本の社会で、つまり学校や会社で、まじめな人間、おとなしい人間、目立たない人間は、軽視されたり小ばかにされたりする。下手をするといじめられる。子どもも大人も、被害者になり加害者になる。日本をだめにしている病根のひとつである。

学校では目立たなかったがメチャクチャ充実していた

 北九州市小倉北区に住む梅田明日佳君という高校生がいる。現在17歳、梅田君はいじめられはしなかった(と思う)が、このように自覚はしていた。「(小中学校では)友だちと一緒に騒いだりするタイプじゃなかったから、クラスでは浮いているときもあったし目立たなかった。はっきりいって学校がつまらないと思ってました。楽しさが分からなかったんです」。おなじ思いの子どもたちがいるだろう。学校が嫌いだ、楽しくない。

 だけど梅田君は、じつは「見えないところ」でひとり、「メチャクチャ充実し」ていたのである。北九州市立文学館主催の「子どもノンフィクション文学賞」という賞がある。審査員にはリリー・フランキーや最相葉月がいる。梅田君はそれに6回応募し、小3で那須正幹賞、小4で大賞(小学生部門)、小6でリリー・フランキー賞、中1で最相葉月賞、そして中3で大賞(中学生部門)を受賞したのである。(NHKスペシャル「ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険」2019・11・30)。この番組をご覧になった方も多いだろう。

 しかし充実していたのは受賞したことではない。受賞の基になった「自学ノート」の存在である。「自学ノート」とはもともと、小1から不定期に出される宿題だった。小3のとき、かれは独自に新聞記事のなかからテーマを見つけ、調べるようになった。

 初めて書いたのは、祇園太鼓の銅像のバチが盗難に遭った記事についてであった。5ミリ方眼ノートに感想を書いた。先生や友だちに「梅ちゃんは物知り博士やね」といわれたのがうれしく、宿題が趣味となり習慣になった。そうして卒業までの4年間、自学ノートに没頭した。

中学生になりますます熱中

 4年生ごろまでは友だちと外で遊んだり、友だちが家に来たりしていた。しかし5年生以降は、完全に自学ノートにのめりこんだ。母親が語る。いまでは「学校では一番おとなしくて別に何もない子」「(クラスに)いてもいなくてもあまり関係のないような子、空気みたいな存在じゃないか」と。