3月11日に起きた福島第一原子力発電所事故では、何より清水正孝・東京電力社長の対応のマズさが際立っていた。「日本的社長」の典型を見るような思いだ。

 4月17日になって東京電力は、6月の定時株主総会で、勝俣恒久会長か清水正孝社長の少なくとも一方は事故の責任を取って辞任する方針を明らかにした。事前の事故防止対策や事故後の処理の遅れにも大きな疑問が持たれている中で、経営者の引責辞任は当然と言っていいだろう。

政府、景気判断を下方修正 東電社長は被災者への仮払いを表明

東京電力本社で謝罪する清水正孝社長(4月13日撮影)
(c)AFP/Yoshikazu TSUNO 〔AFPBB News

 これだけの大事故でありながら、その対応の先頭に立たなければならないはずの清水社長は、事故発生後の3月16日から約1週間、職務から離れていたことが明らかになっている。過労が原因で体調を崩して入院していたと言われるが、その時点で社長の座にある資格を失ったと言わざるを得ない。

 にもかかわらず4月13日になって、東京電力本社で記者会見を開いた清水社長は「これからに向けても体調は万全」と発言。今後も社長としての責務を果たす姿勢を見せていた。

 しかし、4月17日の引責辞任に言及した会見を行ったのは、勝俣会長だった。そこに社長の責務を果たすと意思表示したはずの清水社長の姿はなく、現在の東電における「実力者」が社長ではないことを見せつけた。

危機発生時に国民の反感を買う社長

 こうした清水社長の「ふがいなさ」は東京電力内部の権力争いに原因があるとの指摘も多いが、「危機に弱い」という日本の社長の典型とも言える。危機に弱い社長は、日本的経営の特徴とも言えるのだ。

 2000年6月、雪印乳業(現・雪印メグミルク)大阪工場で製造された「雪印低脂肪乳」を飲んで嘔吐や下痢などの症状を呈する子どもが続出した。いわゆる「雪印集団食中毒事件」である。

 その記者会見で、会見時間の延長を求める記者たちに対して、当時の石川哲郎社長は「そんなこと言ったってねぇ、わたしは寝ていないんだよ」と発言した。その発言が、「危機感と責任感の無さ」としてマスメディアに大きく取り扱われ、国民の反感を買った。

 同時に、そんな発言を社長にさせてしまった広報体制の不備を指摘する声も少なくなかった。危機状況の時に社長が取るべき姿勢、発言を事前に徹底させていなかったのが悪い、というわけだ。

 雪印集団食中毒事件よりも前、1997年に多額の不良債権を抱えて自主廃業となった山一證券の場合、自主廃業を発表した当時の野澤正平社長は、「みんな私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから」と発言し、テレビカメラの前で大泣きしてみせた。