雇用カットの原因にはいくつかのタイプがある。業績悪化、戦略変更に伴う部門閉鎖、個人パフォーマンス等々。理由はともあれ個人からしてみれば、その場で働き続ける選択がなくなるという意味で同じ、大きな変化を迫られる。そこへの配慮がなければ経営が成り立たないことは、容易に想像がつくはずだ。本日は特に個人パフォーマンスに焦点をあてて日本とグローバル企業の差につき言及していきたい。

 日系企業勤務を経て、スイス系金融コングロマリットに職を移し、2008年11月リーマンショック直後に社長になった。

 世界中が大混乱をしていた時期だ。特に私は世界でもっとも傷ついた金融グループに勤務していた。いまでこそリカバリーしたが、当時は信用不安のうわさなども流れていた。社員一人ひとりの表情から、「私の雇用は大丈夫なのか?」と不安とおびえが見てとれた。

 私はそれから2年間、雇用を一切いじらなかった。実は、社長に就任した段階で、既に経営戦略を100ページ以上のパワポに整理していた。この人にはいてもらっては困るという問題児にも概ね目を付けていた。それでもあえて二年間、何もしないことを選択したのだ。不安の募る時期に、一人でもクビを切ったら、いくら個別事由だと説明しても、社員たちは経営の言葉を信じられなくなる。「次は私ではないのか?」と心が乱れるものだ。

 自分が何をしてしまったら経営は自身の雇用をカットするのか? 逆に何をすれば評価されるのか? 実は雇用カットは経営による人事評価に関する究極のメッセージなのだ。経営の肝だから、伝える内容も、伝え方にも細心の注意がいる。

 私は、「仕事ができる」と「仕事ができない」を縦軸、「一所懸命努力する」と「さぼる」を横軸にとって評価の基準としていた。横軸は日本企業が長い私ならではの基準といえよう。しかし、それがまさに経営者としての私の思いであるから大切にした。わかりやすい基準は社員を疑心暗鬼から遠ざけてくれる。雇用カットにこそ企業文化と経営理念が顕在化するというのはまさに実体験から来る教訓なのだ。

 余談となるが、経営者が交代すれば、横軸の仕事に向きあう姿勢に求める基準は多少変化することだろう。いままで折り合いの悪かった部下も再評価されるチャンスが生まれるということだ。日本企業の人事異動で生じる悲喜こもごもが外資でも存在するわけだ。ただし、上司にも部下にも辞めるという選択肢があるので、環境を変えて悪い関係を自ら断てるというのが、旧来型日系企業との大きな違いだろう。

景気のボトムに人を切る日本、切らない外資

「人を切れば企業再建できる」などと言ってしまうのは、短期的な損益の改善しか見ていないからではないか。中長期的に実績を積み上げようとしたら、社員の会社へのコミットメントを引き出さずしてはありえない。

 ただ、雇用カットを先延ばしした決断を“情緒”的配慮とだけ捉えてしまったら、経営は失敗する。