長く続いてきた秘密は「継承」制度にある

 カリスマは一代限りである。カリスマそのものを継承することはきわめて困難である。ではどうするかといえば、継承の仕組みを作り上げることによって、制度として確立してきたのである。ただし、「継承」という点においては、天皇とローマ教皇、ダライ・ラマには顕著な違いがある。まずは、天皇から見ておこう。

 天皇は「世襲」である。天皇家による世襲である。それも男系相続である。天皇が直接後継者の指名を行うわけではないが、皇太子を立てるという形で後継者が定められてきた。この点は、世界中の王制に共通するものであるが、制度安定のための仕組みがビルトインされているわけである。

 女帝は過去には存在してきたが、あくまでも中継ぎとしての位置づけであり、女系天皇が誕生したことは歴史上一度もない。傍流が相続したケースは何度もあるが、男系という原則が崩れたことはない。養子縁組によって「家制度」の維持を図ることが当たり前のように行われてきた日本社会だが、こと皇室に関しては例外は存在しない。このこともまた、民間とは違うという意味で、権威を維持する源泉になってきたといっていいだろう。

 ローマ教皇は、「選挙」によって選出される。いわゆる「コンクラーヴェ」という秘密投票で、枢機卿から選出される仕組みである。そもそも、カトリック教会においては司祭は男子に限定され、しかも妻帯は許されずに生涯独身を貫くことを求められる。このため、世襲による承継はあり得ない。しかも、後継者の指名は許されない。

 11世紀以降、枢機卿から選出される制度ができあがったが、その後、何度も改革が行われてきた。近代になってからのローマ教皇は、実際には老人が就任することが多い。最初から的確な意思決定を行うことができる状態にあるのが、その大きな理由だ。そもそも権力をともなう制度であるため、経験、知識が豊富でないとさまざまな問題が生じやすい。

「近代天皇制」においては、原則として終身在位することが当然とされてきた。大東亜戦争の敗戦にともなって昭和天皇の退位が浮上したが、結局見送られた。今回、近代天皇制のもとにおいては初めて、かつ光格天皇以来200年ぶりに「譲位」(=生前退位)が実現した。天皇の継承は世襲であるが、譲位も今回限りということで結論が出た。とはいえ、近代天皇制にとって「前例」となることは間違いない。

「生前退位」といえば、現在のローマ教皇でアルゼンチン出身のフランシスコもまた、前教皇でドイツ出身のベネディクト16世が「生前退位」したことにともない選出されている。ベネディクト16世の辞任が発表されたのは2013年であり、約600年ぶりのことである。そもそも高齢で位につくことが多いローマ教皇が死ぬまで地位にあることは当たり前とされてきた。

 ところが、ダライ・ラマには「世襲」も「選挙」も、ましてや「生前退位」もありえない。なぜなら、ダライ・ラマは「転生」、すなわち死後に別の人間として生まれ変わって継承されることになっているからだ。きわめて特異な制度であるというのは、こういう意味においてである。ダライ・ラマも僧侶であるので、継承者となるのは男子のみである。しかも、戒律を守り、生涯独身を貫くことになる。

 具体的なプロセスについては省略するが、生まれ変わりを探し、認定するための仕組みは制度化されている。とはいえ、次代のダライ・ラマがいかなる人物であるか予想がつかないことは、制度の安定性の上から大きな問題であると言わざるを得ない。次代のダライ・ラマとなる子どもが発見され認定されたとしても、その時点ではまだ幼児であり、たとえ宗教的権威として見なされたとしても成人するまでは摂政が実際の権力を握ることになる。現在のチベットは中国の支配下にあり、中国共産党の恣意的な介入によって継承システムに危機が訪れている。