制度と人物は分けて考えることが大事

 最初にまず、天皇とローマ教皇、ダライ・ラマについて、それぞれ簡単に整理しておこう。ここで重要なことは、制度は生身の人間によって代表されるが、制度そのものと制度の担い手の人物は分けて考える必要があるということだ。

 天皇は、現行の日本国憲法のもとにおいては「象徴」という位置づけだが、1889年(明治22年)に公布された大日本帝国憲法においては「元首」であった。いずれにせよ、近代以降においては、日本を代表するポジションという位置づけであることに変わりはない。

 ところが、近代以前においては、天皇という称号はそれほど多く用いられていたわけではない。「みかど」と呼ばれることが多かった。「みかど」は「帝」であるが、もともとの意味は「御門」である。ゲートのことである。天皇のことを英語で "Emperor" と言うと、日本人にはなんだか違和感があるのは、近代以前もさることながら、近代以降であっても、天皇が実際の権力をもっていないからだ。皇帝を意味するエンペラーとはニュアンスが違うのではないか、と思う人も少なくないことだろう。

 ローマ教皇とは、全世界で12億人を超える信徒をもつカトリック教会(ローマ・カトリック教会ともいう)の頂点に立つ精神的指導者のことである。カトリックはキリスト教のなかでは最大の勢力であり、歴史はもっとも長い。

 現在のフランシスコ教皇は第266代である(在位は、2013年3月13日以降)。日本では、ローマ法王と呼ぶことが多いが、日本史の法王と紛らわしいので、ローマ教皇と呼ぶべきだ。この点は、マスコミにはぜひ徹底していただきたい。

 さて、ローマ教皇は、英語では大文字で始まるポープ(Pope)というが、原語のラテン語ではパーパ(Papa)という。文字通りパパであり、信徒にとっては父親的存在であるが、これは非公式な呼び方だ。

 英語では教皇のことを「ポンティフ」(Pontiff)ということもある。「司教」という意味である。これは正式名称の「ロマーヌス・ポンティフェクス」(Romanus Pontifex)から来ている。ローマ司教である。そもそも、4世紀にキリスト教が国教化される以前のローマ帝国では、ローマ皇帝は「ポンティフェクス・マクシムス(大神祇官)」(Pontifex Maximus)であり、多神教世界の祭司であった。この称号は、現在もローマ教皇の称号の1つとして継承されている。神を祀るという点においては、ローマ教皇は天皇と共通している。

 ローマ教皇は、カトリック教会の精神的指導者であると同時に、主権国家のバチカン市国の元首でもある。カトリック教会は、世界最古の巨大官僚組織であり、ローマ教皇はそのトップに立つ。ローマ教皇は、権威と権力を併せ持つ存在である。この点は、日本の天皇とは違う。

 ダライ・ラマ法王は、チベット仏教のゲルク派(=黄帽派)の最高位の称号で、実質的にチベット仏教の最高の精神的指導者である。

 ダライ・ラマとは、モンゴル語で大海を意味する「ダライ」と、チベット語で師を意味する「ラマ」とを合わせたものであり、16世紀のモンゴル支配者アルタイ・ハーンから授かったものである。ダライ・ラマは、15世紀以降、チベットとチベット人の象徴となってきた。観音菩薩の化身とされているので、神を祀る祭司ではない。この点は、天皇ともローマ教皇とも異なる。