今春、ジャカルタの国立図書館内の展示スペースで開かれた、殺害された人権活動家ムニール氏を追悼する展覧会(筆者撮影)

(PanAsiaNews:大塚 智彦)

 9月7日はインドネシアの著名な人権擁護活動家だったムニール・ビン・タリブ氏(当時38歳)が毒殺されてからちょうど15年目にあたる日だった。これに合わせて国内外の人権団体などが一斉に「真相解明」を求める行動を起こすとともに、ムニール氏が設立した人権団体などはジョコ・ウィドド大統領に対し「殺害の背後関係、黒幕の解明」を改めて強く要求した。

 2004年9月7日に起きた「ムニール事件」と呼ばれるこの暗殺は、国営企業であるガルーダ航空(GA)と国家情報庁(BIN)が深く関わった政治的暗殺事件としてインドネシアにおける人権侵害事件の象徴とされている。同時に、1998年の民主化実現後も、依然として国軍や警察などの治安組織、さらには裁判所などの司法機関までもが、旧態然とした非民主的で不正義がまかり通るようなスハルト長期独裁政権の「負の遺産」の中で存在し続けていることを裏付ける出来事でもある。

遺体からヒ素検出

 今から15年前の2004年9月7日。GA機にジャカルタからオランダのアムステルダムに留学(ユトレヒト大学で修士課程)のために搭乗していたムニール氏は、シンガポール空港でのトランジット後に再び乗り込んだ機内で体調不良を訴え、機内に乗り合わせた医師の診断を受けながらもオランダ到着2時間前に機上で死亡した。