2019年6月、都内で政府の年金制度に抗議のデモをする人々(写真:ZUMA Press/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 参院選に影響を与えてはならないという配慮があったのだろう、やっと8月27日になって、5年に一度行われる政府の年金財政検証が公表された。経済が順調に成長すれば、2047年以降も現役時代の収入の50%以上が確保されるという見通しである。しかし、マイナス成長になると、所得代替率は50%を割るという。

 今年度は、現役世代の平均収入は35万7000円で、モデル世帯の年金額は22万円、所得代替率は61.7%である。

 実質成長率が0.4%の場合を<基本ケース>としているが、2047年度で、平均収入が47万2000円、年金額が24万円で、所得代替率は50.8%である。

 成長率が0%の<ゼロ成長>の場合、2058年度で、平均収入が46万7000円、年金額が20万8000円で、所得代替率は44.5%である。

 成長率が−0.5%の<マイナス成長>のケースでは、2052年度で、平均収入が40万7000円、年金額が18万8000円で、所得代替率は46.1%である。

年金は「万が一、長生きしてしまったとき」のための備え

 そもそも、年金とは何なのか。

 6月15日の私のコラム「年金だけじゃ足りない、知ってて騒ぐ野党とマスコミ」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56715)でも、「老後2000万円不足問題」に絡んで、今回厚労省が提案した年金改革案については既に説明してある。これから論じようとするのは、それ以前の初歩的だが、皆があまり真剣に考えない素朴な疑問である。

 第一に、公的年金と民間の火災保険や自動車保険との比較である。火災保険は火事になったとき、自動車保険は交通事故が起こったときの備えである。火事や事故がなければ、それに超したことはない。保険料は掛け捨てになるが、誰もそれは問題にしない。万が一、火事や事故が起これば、保険金が支払われるからである。

 年金を同様なものと考えれば、「長生き」は火事や交通事故と同じということで、万が一、長生きしてしまったときの備えである。