第3は、自国民の人権抑圧である。

 現在のイランは、イラン・イスラム共和国という正式国名の通り宗教が政治を支配する現代世界では珍しい宗教国家である。自国民にはイスラム古来の厳格な戒律を課しており、女性の社会進出の禁止、男女関係の乱れへの規律、同性愛の否定など、戒律への「違反」には死刑を含む苛酷な懲罰が加えられる。

 イラン当局による自国民の人権弾圧は 国連も正面から取り上げて何度も警告や抗議を重ねてきた。イランの社会は、民主主義や人権を重んじる日本や米国などとはまったく異次元の世界なのである。

日本とはあまりに異なるイランの現実

 こうみてくると、イランの国際社会での特殊性は決して米国の一方的な基準から生じているわけではないことが明確になってくる。イランという国は、国連に象徴される現在の世界の普遍的価値観に完全に背を向けているのだ。

 主権国家が自国の統治にどのような形態を選ぶかは、もちろん自由である。その形態が国際基準に当てはまらない異端であっても、他国にとやかく言われる筋合いはない。ただしそこには、その形態があくまで国内に留まり、他国への押しつけがなければ、という前提がある。イランの場合、明らかに異端の価値観のまま外に打って出るという状態なのだ。だから外部社会としては、その異端の攻勢にどう対応するかが重大な課題となる。

 米国とイランの対立が深まる一方で、日本ではイランの「親日国」というイメージが強調されている。その背後には、日本とイランが共通の価値観を持ち、互いに分かり合えるという認識も見え隠れする。だがイランの現実は日本とはあまりに異なるという実態も知っておくべきだろう。