イラン側は結局、米側の人質を444日間も拘束した。カーター政権はイランの米国大使館占拠を卑劣な国際テロとみなした。テヘランに米軍の特殊部隊を送り込む救出作戦も実行したが、途中で失敗した。

 最終的に人質は解放されたが、米国の激しい怒りは収まらなかった。イランに対する憎しみと敵意は歴代政権へと引き継がれ、米国政府の対イラン政策の根幹となっていったのだ。

「イスラエル抹殺」を宣言

 米国とイランのこの敵対関係は40年後の現在も続き、かえって溝は深まったともいえる。米国大使館占拠の後も、欧米諸国の脅威となる敵対的な対外姿勢をとり続けてきたからである。

 その対外姿勢には少なくとも3つの特徴がある。

 第1は、国際テロへの支援である。

 イランが中東でイスラム過激派のテロ組織の「ヒズボラ」や「ハマス」に資金や武器を与えてきたことは広く知られている。イラン当局がこうしたテロ組織に実際の攻撃命令を下したとされる実例も頻繁に指摘されてきた。

 米国歴代政権は1984年以来、イランを一貫して「テロ支援国家」に指定してきた。トランプ政権も最近イランの「イスラム革命防衛隊」を国際テロ組織に指定した。

 第2は、イスラエル抹殺の宣言である。

 イランは一貫してイスラエルという国家の存在を否定し、その破壊を国是として掲げてきた。この姿勢は、米国の中東政策の完全否定となる。さらには、イスラエルの存在を認めているイスラム系国家の政策とも衝突する。核兵器開発を目指すイランによる「イスラエル抹殺」宣言は、きわめて不吉で危険な威嚇といってよい。