企業に属している日本人には、「会社は自分たちのもの」という意識が強い。奇跡の高度成長は、この意識の効果が大きかったと個人的には思っている。
それが最近になって無鉄砲な人員削減を乱発したおかげで薄らいでしまったかもしれないが、やっぱり根強くその意識は企業人にあるようだ。念のために言っておくと、「自分たち」とは「従業員(社員)」のことだ。
産業社会学者の間宏(はざま・ひろし)氏は著書『日本的経営の系譜』(1963年)において、日本的経営システムを「経営家族主義」と呼ぶ。「日本社会の基盤をなしていた『家』の観念を拡張解釈し、家の擬制としての経営管理制度をつくりあげた」というのだ。
さらに、次のように説明する。
「そこでは資本家・経営者と従業員の関係を親子になぞらえ、両者の利害は決して対立するものではなく、一致するものだと主張されている(労使一体)。そして、このような情誼によって結ばれた家族的労使関係は、欧米のように金銭によって結ばれた契約的労使関係とは異なり、世界に誇るべきわが国の伝統的美風である(家族主義イデオロギー)」
経営者と従業員は家族であり、そして会社(企業)は「家」である。自分たち(経営者と従業員)の家だから、「会社は自分のもの」ということになる。
自分の「家」は「立派にしたい」と思うもの
人の家の掃除ならカネをもらわなければやらないが、自分の家ならタダでやる。掃除は好きでないとしても、汚かったり壊れたりしているとイヤだから、やるしかない。自分のものなのだから、いたしかたない。
たまにはストという強硬手段を使ったとしても、労使交渉では最後の最後には妥協する企業内組合の行動も、組合員である従業員に「会社は自分のもの」という意識があることを考えれば理解できる。不満はあっても、自分のものを壊してしまう人はいないだろう。
むしろ、自分の家だから「立派にしよう」と思うものだ。若者やその親の「一流志向」も、「自分の家は立派でありたい」と願うからだ。一種の「見栄」である。
一部上場の会社に就職希望者が殺到するのも、上場による企業としてのメリットを生かしたいからではなく、ただステータスとしてとらえてのことなのかもしれない。「上場と非上場の違いは?」という問題を、ぜひとも企業には採用試験で出題してもらいたいものだ。その結果を、ぜひ知りたい。