審査委員会委員は、問題点は2つあるとした。1つは、「意思表示書が明確でなかったこと、つまり、手を引っ込めた場合でも安楽死を希望している旨の記載がなかった」。もう1つは、「手を引っ込めた際に、医師は患者の意思を確認すべきだった」の2点である。
判断能力ない後期認知症患者への安楽死は行いうるのか
そもそも判断能力のない後期認知症の患者の安楽死は行いうるのだろうか。オランダの安楽死法2条の2に以下のように記載されている。
「16歳以上の患者が自己の意思をもはや表明できないが、この状態に陥る前に自己の利益について合理的判断ができるとみなされ、かつ生命終結のための要請を含む書面による宣言書を作成していた場合、医師は、この要請に従うことができる」
この条項によれば、安楽死宣言書があれば、自己の意思がもはや表明できなくても安楽死はできるということである。だから認知症の患者でも、まだ認知症の初期で意思表示ができる時に、「以下の状況になったら私は安楽死を要請します」と記載すれば、医師は宣言書を基に安楽死の処置ができるのである。
しかし、このケースでは、宣言書にはそのような記載がなく、明確ではなかった。だから委員会は、この安楽死宣言書を基に安楽死を行ったのは要件を満たしていないと裁定した、ということである。
たしかに、この患者は「介護施設に行かなければならなくなったら安楽死をしたい」と、常に言っていたという。しかし、彼女は「これから私は安楽死宣言書を作成します。宣言書には、私が安楽死を要請したくなったら、自分でその旨を伝えますと書きます」とも言っていた。
だから、医師は規則的に患者に問いかけていた。「安楽死を今したいですか?」と。そして患者は、「私は安楽死を希望します。しかし、今はまだ安楽死をしたくありません。今はまだ安楽死を行わなければならないほど辛くはないです」と返答していた。
あるとき、医師は、患者と会話することが不可能になった。つまり、医師が患者に「安楽死を今したいですか」と尋ねられない状況になった。認知症が進みすぎたのだ。
そこで委員会が問題として指摘したのは、以下の点だ。
1、安楽死宣言書には、「安楽死をしたくなったら、自分でその旨を伝えます」と記載されているが、安楽死希望を患者は一度も出していなかった。
2、患者と話せなくなっても医師は、「今、死にたいですか?」「今安楽死を行うのは、あなたはどうお考えですか?」と何度も尋ねるべきだった。そして、感情の動きを見極めるべきだった。リアクションを観察するべきだった。それは、言葉によるコミュニケーションである必要はなく、言葉によらないコミュニケーション、ジェスチャー等でも良かった。
安楽死審査委員会は、医師は患者の意思を確認せずに安楽死を行ったと判断した。