②福生病院の医師の患者の意思確認の仕方は曖昧である。医師は、苦痛を和らげること、すなわち透析を再開しないことが死へ直結するということを患者は十分に理解していると考えたのかもしれない。しかしそうであるとしても、この場合、念には念を入れて、その点を患者に明示して確認すべきではなかったのだろうか。なぜなら、苦痛を和らげる治療をすること、すなわち透析をしないという選択は死に直結するからであり、しかも死は、不可逆的な事態だからである。

「鎮痛剤」と「鎮静剤」の大きな差異

 もうひとつ、この事件は苦痛の緩和を意図する鎮痛剤ではなく、意識をブロックする鎮静剤を用いている点にも注意しておかなければならない。もし報道にあるように鎮静剤を用いたとするならば、それは苦痛を取り去ることを意図する「緩和医療」というより、「持続的な深いセデーション」である。新聞報道では、この点があまり区別されていないが、「持続的な深いセデーション」は別名「ソフトな安楽死」とも言われている。なぜなら、苦痛を取り去り、QOLを高める鎮痛剤と異なり、意識をブロックする薬剤を使用するわけで、身体は動いていても実はその時点で意識がない状態なので「死んだ」とも言えるからだ。

 オランダでは、さらにセデーションをかけるときは、栄養チューブ等を抜き去るなど、死期を早める行為を行うことが多い。なぜならチューブ等をつないでおくと却ってむくみなどの有害事象が出るからだ。そのため、セデーションは、死を意図しての行為(ソフトな安楽死)と理解されている。なぜなら、死が確実に訪れることを予見しながら、防御する手立てを積極的にとらずに、死にソフトに誘導させるようにもみえるからだ。だからこそ、患者・家族への説明は、なお一層、慎重に行わなければならないのだ。

 この点で、アメリカや日本の緩和医療学会のセデーションのガイドライン(『苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン』2005年日本緩和医療学会理事会)には、危惧されることがある。セデーションの導入の際の聞き方が、「少しうとうとして過ごす(ぐっすり眠る)方法もあります」という曖昧な提示の仕方になっていることだ。はっきりと、眠ったまま死を迎える可能性がある旨説明すべきである、と私は思う。そうでなければ、セデーションの実施は「偽装された安楽死」と非難されることにならないだろうか。

「先端医療分野における欧米の生命倫理政策に関する原理・法・文献の批判的研究」(課題番号:18H00606、研究代表者:小出泰士,2018年~2020年)の助成を受けている。通訳ベイツ裕子氏。