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(盛永審一郎:富山大名誉教授)

 宮沢賢治の「注文の多い料理店」は実に面白い作品である。イギリスの兵隊の格好をした二人の紳士が山の中で見つけた西洋料理店で注文をしているつもりが、逆に注文されて食べられそうになるという作品である。同じようにわれわれ人間は、科学技術の最先端であるゲノム編集技術を装備してゲノムを支配したつもりになっているが、その実、ゲノムの囁きに唆され支配されているのではないだろうか。だとしたら、そのことに気づいていない点で、この紳士たちよりも救いがない。

80年代から指摘されていたヒトゲノム編集の問題点

 中国・南方科技大の賀建奎副教授が、ゲノム編集技術で受精卵の遺伝子を改変し、HIVにかかりにくい体質の双子を誕生させたとするニュースが、11月26日、世界中を駆け巡った。同時に、この賀建奎副教授の実験に対して、多種多様な観点から批判的意見が出された。

 批判的意見はおおよそ次のように分類できる。

①「提供者からインフォームドコンセントを受けるなど『適切な手順』を踏んで行われたのか」など手続き的正義ないし研究倫理の観点


②「時期尚早で無謀な人体実験」、「人類という種に対する影響も極めて不透明」など技術の安全性、被験者の保護という観点


③「親が望んだ容姿や能力を持つ赤ちゃんを誕生させるなど、技術の乱用につながる恐れ」など、治療を超えて遺伝子改変へと滑り落ちていく「すべり坂」(ダム決壊)を危惧する観点

 これらの批判を受けて、中国科学技術省は、賀建奎副教授に活動の中止命令を出したと報じられている。

 ただ、②と③については、ヒトゲノム研究がスタートした1980年代にはすで、にドイツ系ユダヤ人で、アメリカの生命倫理学者であるハンス・ヨナス(1903-93)が以下のように警告していた。

②安全性:<遺伝子治療は、もう一方の秤の皿の上に、「産まれていない者への実験、高い危険、失敗をどうすべきか、不手際の不可逆性、失敗の将来への広がり、……」という厄介な問題をのせることになるという。結局、技術的人間は「遺伝的修繕という保守的精神を後にして、創造的放漫の道を歩き始めることになる好奇心で満ちた冒険というパンドーラの箱を開く」というのである>

③DNA建築術への道:<しかし医学は維持し修復するのであって、変化し新しくするのではない。医学の目的は与えられた自然の規範である。一体この自然から自己を解放し捏造する人間の基体における建築術の目的とはなんであり得るのか。確かに人間を創造することではない。人間はすでにそこに存在している。おそらくよりよい人間を創造することか? しかしよりよいことに対する基準は何であるのか。例えばよりよく適合することか? しかし何によりよく適合することか?……問いはすべてどんなモデルにしたがって? という問いに達する>

 つまり、ヒトゲノム編集がはらむ問題点は、この技術研究が始まった当初からほぼ指摘されつくしていたと言える。

 そうした中にあって今回、日本医師会と日本医学会は、全く異なる観点での批判を世界で唯一展開した。私はこの観点に注目した。