この観点ではたとえ安全性が確立しても受精卵へのこの技術の臨床応用に関しては禁止、ないしは厳しい制限が付されるのである。以下、その声明の1段落目と2段落目を抜粋する。

日本医師会・日本医学会声明(2018年11月30日)
<我が国において、ヒト受精胚は「人の尊厳」という社会の基本的価値を維持するために特に尊重されるべき存在であり、かかる意味で「人の生命の萌芽」として位置付けられています。
 今回の行為は、産まれてきた女児らの身体的、精神的、社会的な安寧を踏み躙るものであり、この考え方に照らすまでもなく、人の尊厳を無視し、生命を軽視するものであり、国際的な倫理規範から見ても常軌を逸したものであります>

「日本でも研究目的なら受精卵のゲノム編集は認めてくれ!」

 いったい、ここに抜粋した最初の段落、これはどのような意図で記載されたのだろうか。

 次の段落は理解しやすい。最初の段落で述べた人受精胚の身分とは関わりなく、この技術の臨床応用は、安全性が確立していないし、どんな変異を引き起こすかわからないのだから、生まれてきた子どもの生命を軽視し、その子の人間の尊厳を無視する行為だ、と言うのであろう。「人間の尊厳」という言葉の使用の仕方に少し引っかかりを感じるけれども、一応この文章はすんなりと理解できる。

 しかし、ならば、なぜ初めの段落においてわざわざ受精卵の位置づけ、身分に日本医師会らは言及したのだろうか?

 それは、「受精卵へゲノム編集技術を使用することが、即、受精卵の持つ人間の尊厳を冒すことになる」と強調したかったからだろう。

 実はこの日本医師会や日本医学会の執行部の考えとは別に、医学界の中には、大きな欲求が渦巻いている。すなわち、「ゲノム編集技術を受精卵へ臨床応用することは原則的に認めることはできないが、この技術の受精卵への研究利用は認めてほしい」と、本当は声を大にして言いたい人たちが大勢いるのだ。「ただし、これは難病で苦しんでいる人のために治療法を開発したいという真摯な思いからだ。だから、認められるべきなのだ」と。

 日本医師会・日本医学会声明は、そうした研究者のはやる欲求にもあらかじめ釘を刺そうとしたのではないだろうか。