茨の道になりそうな令和の時代に、日本が世界で存在感を発揮していくためには、このような人たちが活躍できる環境、そして「こうした分野に秀でた日本で学びたい」という留学生をしっかり受け入れられる環境を整えるべきなのです。

きびだんごが欲しいから鬼退治についていったのか?

 同時にもう1つ大切なのは、それらは中央政府が全国一律の施策で行うのではなく、地域が独自色を生かしながら、自律的に成長戦略を策定して実行するべきだということです。日本は明治維新で中央集権体制を整備し、東京で官僚がコントロールを利かせる一極集中体制で成功してきました。

 しかし、これからの時代は、中央集権を脱して、各地域が自律的に動いていくことが必要です。経産省にいたので自信を持って断言しますが、国は各市町村はおろか、各都道府県の成長戦略を考える能力も体制も持っていません。そうした中、明治維新と逆方向の維新、いわば「逆維新」が求められると思うのです。各地域がそれぞれ「俺たちは何でこれから食っていくか」を真剣に考え、アイデアに磨きをかけていかなければなりません。

 外国では「音楽の街=ウィーン」や「美食の街=サン・セバスチャン」といった、強烈な特色をもった都市があります。そうした特色を発揮することによって、大企業の工場などに頼らなくても地域の雇用を創出し、多くの観光客を呼び込むことに成功しているのです。日本の地方にも、そうしたポテンシャルを秘めた場所が無数にあります。中央政府の補助金や大企業の工場進出に頼るのではなく、自らの強みに磨きをかけて、各地域がもっと輝く方策を考えていかなければならないと思うのです。

 3つ目として大切な打ち手は、リーダー教育です。先ほど述べたように、偏差値教育至上主義の下、子どもたちをいわゆる一流大学に押し込むのではなく、本物の「始動者(≠指導者)教育」の実現がとてつもなく重要な時代になってきています。

 私はリーダーとは「桃太郎」でなくてはならないと思っています。その意味は、「集団をまとめて指揮する人材」ではなく、たとえ村人全員が反対しても鬼退治に出ていくような「自ら行動を始める人材」、いうなれば「指導者」ではなく「始動者」です。

 イヌ、サル、キジを引き連れて鬼退治に向かった桃太郎。「お腰に付けたきびだんご~♪」の歌が誤解を招いていると思うのですが、イヌたちはきびだんごにつられて桃太郎に付いていったわけではありません。初めは一人で鬼退治に向かっていた桃太郎の理念に共鳴したからこそ、イヌ、サル、キジは行動を共にしたのです。命の危険を伴う鬼退治に、いくらなんでも、きびだんごだけで付いていくはずがありませんから。

 これからの時代は、有能なテクノクラートを育てるのではなく、自ら考えて行動できるリーダーを育てていかなければなりません。私自身、意欲ある若者に向けたリーダー塾を開いていますが、こうした動きが数多く出てくることが、「令和」の時代を明るい時代にするために必要なことだと思います。