そして2000年代後半。この時は07年末から08年にかけアメリカでサブプライムローン危機が発生、その影響で2008年9月15日にリーマン・ブラザーズが経営破たん、いわゆる「リーマン・ショック」が世界中を襲います。

 この頃、日本では発足したばかりの麻生内閣が景気対策を実施するなどして不況に対応しますが、「漢字の読み違い」が揶揄されるなど、支持率は急落。結局、政権発足から約1年後に麻生首相は解散・総選挙に打って出たものの大敗します。選挙で国民の大きな支持を集めたのは、民主党でした。55年体制が出来て以来、初めて選挙による政権交代が実現したのです。

「脱官僚」を掲げて政権を握った民主党に、国民は期待しました。しかし、やはり政治改革は中途半端に終わり、国民の中には落胆だけが残りました。

 こうして振り返ると、見事に10年ほどの周期で経済的ショックと政治的動乱が繰り返されてきたのが分かります。

 その流れで言うと、今年はリーマン・ショックから11年目。2010年代も間もなく終わります。そろそろ何か経済的な衝撃が起こり得るのではないかと考えられるのです。あるいはオリンピック後がそのタイミングになるかもしれません。いずれにせよ、「令和ひとケタ」時代に、経済的なショックが起こり、抜本的なガバナンスの改革がまた求められる時代になるのではないかという予感がするのです。

「かつては世界に冠たる経済大国だったのに・・・」

 2つ目に上げた「40年周期」も、日本の歴史に当てはめてみると、時代のうねりをうまく説明することができます。

 明治維新(1868年)から37年後の1905年、日本は日露戦争に勝利し世界中を驚かせ、経済的にも好景気に沸き立ちます。明治維新からおよそ40年をかけ、日本は世界に一流国に向かってまっしぐらに階段を駆け上ったわけです。

 好景気は、第一次世界大戦(1914~1918年)時まで続きますが、1920年代、30年代は恐慌続きとなり、政界では軍部が台頭、次第に日本を取り巻く環境は悪化の一途を辿るようになります。そして日露戦争の勝利からちょうど40年目の1945年、行き着いたのは、第二次世界大戦での敗戦というどん底でした。明治維新から40年かけて登った山を、今度は40年かけて谷底まで転がり落ちていったというわけです。

 その焼け野原から日本は再び立ち上がり、高度成長期を驀進します。そして敗戦から40年後の1985年、気づいたら日本は輸出を中心に稼ぎまくっていました。ちょうどこの年は、プラザ合意によって日本企業が円高不況に直面する年ですが、国際的に円高ドル安に誘導せざるを得ないほど、日本の輸出競争力が高まっていたと言えます。実際、日本経済は円高不況をあっという間に克服し、80年代後半はバブル経済が絶頂期を迎えます。

 もちろんそのバブルは派手に弾け、日本は長い不況を経験したわけですが、1985年を一つのピークとして、そこからまた40年かけて谷底に向かっているとしたら、実はまだ「大底」には至っていないことになります。40年周期説に従うなら、大底は2025年ごろ。2020年の東京オリンピックが終わり、2025年の大阪万博の後ということになるのでしょうか。2つの巨大プロジェクトの後、日本はあの敗戦に匹敵する厳しい状況に置かれるのかもしれません。