ノートルダム大聖堂火災、単に文化財建築が焼失したという以上に、かけがえのない人類の軌跡が、跡かたもなく消えてしまったことは、どれだけ悔いても悔い切れません。
前回(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56140)、私がそう記したのには明確な理由があります。
今日、私たちが普通に親しむ「ドミソ」などの3和音は、このノートルダム大聖堂という建物が建設されたことで生まれました。
専門の音楽史の本を開けば必ず記されている「ノートルダム楽派」についてお伝えします。
私たちの研究室は2017年以降、ノートルダムでの演奏評価予算を日本学術振興会に出し続けていましたが、今年も通りませんでした。
2016年まで、バイロイト祝祭劇場という別の重要な建物についての仕事が一段落した後、私にとって原点でもあるノートルダム=西欧ポリフォニー成立の原点に、研究室としてアプローチしようと考えていましたが、ターゲット自身が消えてしまった。
いずれ再建はされるでしょうが、再び同様の取り組みが可能になるのは、何十年先になるか分かりません。私が研究室を維持している間は、多分無理でしょう。
そういう現実的なこともあり、本稿もJBpressの連載では大変珍しく、私のラボ(作曲指揮研究室)本来のテーマを、ご説明したいと思います。
以下は私がフリーハンドで書いたものですが、内容に細かなご興味のある方は、金澤正剛さんの『中世音楽の精神史―――グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ』などをご参照ください。
屋上、屋を重ねた建築工法
ノートルダムの特殊事情
現在のノートルダム大聖堂、巨大なゴシック様式の建築は、それ以前に建っていた修道院付属の小さな聖堂と完全に同じ場所に建てられています。
なぜかというと、その古い小さな聖堂を丸ごと包み込むようにして、新しい大伽藍を建築するという、びっくりするような工事が行われたからです。
こう書くと、「本当か?」という顔を学生などにはされますが、例えば日本で能楽堂や相撲の舞台を考えてみてください。
土俵や能舞台には元来の屋根がありますね?
明治以降というより実質的には昭和初期からですが、近代的なコンクリート建築で、風雨にあおられないよう観覧席をまるごとビルの中に包み込むように建てた。