製糖業を発展させ、国富増大を図ったフリードリヒ大王でしたが、事はそう簡単には生きませんでした。18世紀のヨーロッパの製糖業の中心はハンブルクでした。シュテッティンの砂糖は、最終的にハンブルクの砂糖との価格競争に勝てなかったのです。
フリードリヒ大王がすべきだったこと
これに対してイギリスは、上述のように、所得弾力性が高い商品に消費税をかけることで税収を増やしつつ、戦争になると国債を発行して戦費を調達し、それを平時に返済し、しかも返済を議会が保証するというシステムを構築しました。プロイセンにはこのシステムがありませんでした。
イギリスの海軍にはプレス・ギャング(強制徴募)というステムがありました。戦争になると、本人の意思とは無関係に水夫たちを兵士として徴発し、戦争が終わると帰国させるという強引な制度です。こうして兵士に仕立て上げられた人々は、兵力としては物足りないかも知れませんが、平時には彼らにかかる費用はなくなるので、財政的にはかなり楽なシステムです。
プロイセンのように大規模に常備軍を保持すれば、軍事力としては強大なものになりますが、その代わりコストも莫大になります。平時においてもかなりのお金が必要になるのに、戦争となればさらに巨額の費用が必要になります。
他国に比べて強大な常備軍を持つプロイセンは、それだけ多くの歳入を確保する必要がありました。そのための方法は、国策事業を強化して稼ぎまくるか、巧みな税制を整備し国民から税金を集めるしかありませんが、その点で、プロイセンはイギリスに適わなかったのです。
フリードリヒ大王は、プロイセンをヨーロッパの列強に押し上げた功労者ではありましたが、もう少し軍事費がかからない工夫をし、そしてイギリスが整備したような国債を利用した近代的な財政システムを利用していれば、その後のヨーロッパの勢力図は全く違うものになっていたかもしれません。
武力での対決が国家の命運を分けた時代にあっても、最終的には、その軍事力を支える経済力と財政制度の優劣が決定的要因になっていました。このことは、もちろん現代にも当てはまることなのです。