軍事革命
軍隊の規模がこのように巨大化したのは、ヨーロッパで始まった「軍事革命」の影響でもあります。
それまでの最大の武器は、騎馬兵による弓でした。それが近世になると、大砲・火器が導入されるようになり、戦術が劇的に変わったのです。それに伴い軍隊の規模も極めて大きくなり、徴兵制が導入されるようになります。この影響で社会そのものも大きく変化したのです。これが「軍事革命」です。
『ザ・ミリタリー・レボリューション』(邦訳『長篠合戦の世界史――ヨーロッパ軍事革命の衝撃 1500~1800年』、同文舘出版)を著した歴史学者ジェフリ・パーカーによれば、軍事革命の革新は16世紀にありました。それは、①軍艦の舷側砲の発展、②戦闘によるマスケット銃(火縄銃)と、野砲による援護、③ヨーロッパ史上例のない、急激で持続的な兵力の膨張、④「対攻城砲要塞」の発展を特徴としていました。
これらの革新が先んじて現れた地域だったからこそ、ヨーロッパは他地域を圧倒する軍事力をもつようになったのです。「軍事革命」がなければ、その後、ヨーロッパの国々が世界を支配することはなかったのです。
ただ、そう考えてくると、ある疑問にぶち当たります。ヨーロッパの中でもプロイセンは強力で大規模な軍隊を擁していました。であるならば、「軍事革命」の利益を最大限に享受し、全ヨーロッパ、あるいは全世界の覇権を握っても不思議ではなかったのではないか、ということです。
ところが現実には、「軍事革命」の最終的勝者はイギリスでした。軍事革命によって強大化した武力を背景に、ヨーロッパは対外拡張へと乗り出しますが、その中でも世界最大の植民地所有国となったイギリスこそ、軍事革命の究極的な勝者だと言ってよいでしょう。
では、なぜプロイセンはイギリスに及ばなかったのでしょうか。
財政が国家の明暗を分ける
経済学者シュンペーターはこう述べています。「財政需要がなければ、近代国家創成への直接要因は存在しなかった」と。財政需要こそが、近代国家誕生の鍵でした。国家は大規模な支出に備えるため、徴税制度や財政システム、官僚制度などさまざまなシステムを整備するようになるのです。そして、その契機となる大規模な支出とは「戦争」によって創出されたものだったのです。
戦争を始めると財政出費が増えます。しかも「軍事革命」によって、戦費はどんどん巨額になっていきます。そのためヨーロッパの各国では財政制度が整備されていくことになりました。毎年の会計があるのは当たり前になり、もともと未分離だった国王の財政と国家財政も分離されるようになりましました。
国家が生き残るのに重要なことは、健全な財政制度を確立することでした。その出来、不出来がその後の国家の命運を分けたと言っても過言ではありません。これをもっとも上手くやってのけたのがイギリスだったのです。