前回の連載で、イギリスが巨額の借金をしながらも経済成長を遂げられたのは、所得弾力性が高い商品(経済の成長率以上に購入される)に消費税をかけたことで、経済成長よりも税収の伸びが大きかったからだということを指摘しました。これはイギリスが導き出した、経済成長を妨げずに税収を増やすベストな方法でした。では、プロイセンはどういう方法で国庫歳入を増やそうとしたのでしょうか。

プロイセンの殖産興業

 当時のプロイセンは経済成長をしていましたが、オランダやイギリスほどの成長ではなかったと言われています。

 プロイセンは人口も多く製造業が発展していましたが、規制も多く、経済成長を促進する制度も十分ではなかったようです。

 しかし、巨額の軍事支出を賄うため、プロイセンはより多くの国庫歳入をはかる必要がありました。そこでフリードリヒ大王は、殖産興業に乗り出したのです。具体的には、製糖業に力を入れ始めるのでした。

【表2】バルト海地方の主要貿易港の植民地物産輸入量(単位:ポンド)
出典:Nina Ellinger Bang and Knud Korst (eds.), Tabeller over Skibsfart og Varetransport gennem Øresund 1661-1783 1661-1783 og gennem Storebaelt 1701-1748, 4 Vols., Copenhagen and Leipzig 1930-1953.
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【表2】は、バルト海地方における主要貿易港の植民地物産(砂糖・コーヒー・紅茶・染料など)の輸入量を表しています。ここで注目してほしいのは、シュテッティンの植民地物産(その多くは砂糖)の輸入量が他地域よりも数段速いペースで増加していることです。シュテッティンはオーダー川(現在のポーランドとドイツ国境を流れる川)流域の都市で、フリードリヒ大王はこの都市の近郊に製糖所を建てました。当時、砂糖の貿易は非常に儲かったのです。それがシュテッティンの輸入量の激増の原因でした。