(高野 研一:コーン・フェリー日本共同代表)
我々はデジタルデバイドによる社会不安を克服できるのか?
寄附や研究開発の社会的位置づけを変えることで、二極化による社会の崩壊を回避することが可能ではないかと思う。
「デジタルデバイド」とは、デジタル革命に適応できる人と、そうでない人の間で二極化が進み、格差社会につながる現象のことをいう。デジタル革命によって、これから新興企業が爆発的な価値を生むようになっていくが、そこで生まれた富の多くは、創業者やそこに投資した資産家に帰属し、大衆には還元されない。それが社会不安につながっていくことが懸念されているのだ。
民衆の不安が暴走した「アラブの春」
産業革命の時代には、巨大工場が建設され、大企業が台頭し、それが多くの人に雇用の機会をもたらした。しかし、デジタル革命の時代においては、事業価値の創出が必ずしも雇用の創出につながらない。2014年にフェイスブックがワッツアップを2兆円で買収して話題をさらったが、当時ワッツアップで働く社員数は、わずか50人だった。
ウーバーのケースを見ても、自動車メーカーを上回るほどの企業価値が新たに生まれたにもかかわらず、その大半は創業者や資本家に帰属し、多くの運転手の生活が必ずしも豊かになっているわけではない。
そうした中で先進国では高齢化が進み、国の財政赤字が拡大の一途をたどっている。国民1人当りの借金が800万円を超える日本は、その最たるものだろう。増え続ける医療費や年金の支払を賄うことができるのか、懸念を抱く人も多い。
米国のトランプ大統領の誕生に見るように、こうした不安がポピュリズムにつながりつつある。不安を抱えた大衆層の声を代弁した政治家が、民主主義のルールの中で権力を握り台頭する。しかし、彼らにも問題を解決できるアイデアがあるわけではない。不安や不満に駆り立てられた民衆ほど危険なものはない。それが暴走したのが「アラブの春」だ。