沿海州やサハリン、カムチャツカ半島にロシア人が存在するのも、たかだか200年強の話であって、「元来だれそれの土地」式の議論は、米国の現状を筆頭におよそ成立するものではありません。
今回の容疑者に関しては、低所得層というよりも、その「Shit-Posting」の内容から如実な知的レベルの低さ、その原因となった可能性のある教育の水準に大きな問題があるように思われます。
日本語にもネットの俗語で「クソカキコ」というものがありますが、今回の容疑者の「Shit」(クソ)のような SNSへの莫大な「Posting(投稿)」の問題、社会心理的な病理を指摘しておく必要があると思います。
「ネトウヨ」「ヘイト」などといった表現で日本国内でも同様の傾向は明確に確認され、決して他山の石とすべきものではないと思われます。
意味のないシュプレヒコールでも、何千回、何万回と呼号すれば、いずれは何となく常識のようになってしまう。「Shit-Posting」の主要な「戦略」はそこにあります。
知性を軽んじ、合理性を否定し、もっぱら嫌悪などの感情に訴えてまともな議論が成立しないようにする、こうした濫用(abuse)が、このようなありうべからざる暴力と隣り合わせである事実に注意する必要があります。
むしろ考慮すべき「相模原」との近親性
国際社会のリアクションとして、今回の大量殺戮を2011年7月22日に発生した、ノルウェーの大量殺人事件と対比するものが見られます。
日本は銃器の携帯も許されておらず、仮にヘイトがあったとしても、このようなリスクを懸念する必要はないと言えるでしょうか?
直ちに想起されるのは、相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」で発生した大量殺人事件です。
もちろんこの事件は移民に対する嫌悪とは異なりますが、弱い対象を嫌悪と排撃のターゲットとする「Shit Posting」的なメンタリティには、非常に近いものがあると指摘することが可能です。