温暖化で解ける永久凍土 傾く建物、有害物質放出の恐れも シベリア

ロシアのシベリア東部ヤクーツクのメルニコフ永久凍土研究所の前にあるマンモスの像(2018年11月26日撮影)。(c)Mladen ANTONOV / AFP〔AFPBB News

 2月26日、奇しくも2・26という日付でしたが、私の連載コラムとともに、佐藤けんいちさんのコラム「知られざる戦争『シベリア出兵』の凄惨な真実」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55568)が公開され拝見、心を打たれました。

 読者の皆さんに、私自身の原稿より、むしろこちらにご注目いただきたいとSNSで呼びかけたりもしましたので、それをご覧になった方がいるかもしれません。

 佐藤さんはお祖父様がシベリアに出征されたとのことです。

 私も、母方の曽祖父が外務省の立場でシベリア出兵にコミットし、父方は親父が第2次大戦後に満州で捕虜となり、強制収容所で3年間重労働に従事し、病院船で帰国できたおかげで私が生まれた経緯があります。

 この話題は完全に骨がらみで、多くの読者が関心を持ってくださるようであれば、何より有り難いことだと思っています。

 一方では朝鮮戦争の終戦が議論され、並行して北方領土についても机上のやり取りを報道で目にするわけですが、日頃から大変に不満に思うことが多く、整理していくつか記しておきたいと思います。

うちの家作を返せ!

 まず最初に、一番不満なのは、北方領土交渉の絵に描いた餅加減、個人の顔が見えないアサッテぶりで、率直に申せば「ふざけるな」と常々思っています。

 仮に一部の領土が日本に戻ってきたとしても、それは国対国の問題であって、個人の犠牲は永遠に償われません。

 私事にわたって恐縮ですが、私の家は南樺太にそれなりの規模の家作を持っていました。

 当主はベトナム沖で魚雷轟沈(昭和19年)、長男は学徒出陣したシベリアで強制収容所に抑留され、廃人同様で命からがら復員し、戦争で資産はすべて失われました。

 返してくれ、というか「返せ!」というのが、常々率直に思っているところにほかなりません。