彼は、全国を旅しながら「遅ればせの仁義、失礼さんでござんす。私、生まれも育ちも関東、葛飾柴又です。渡世上故あって、親、一家持ちません。駆け出しの身もちまして姓名の儀、一々高声に発します仁義失礼さんです。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。西に行きましても東に行きましても、とかく土地、土地のおあ兄さんおあ姐さんにご厄介をかけがちたる若僧です・・・」などと、土地の同業者にアイツキ(つきあいの転倒語であり、あらめん=初対面の面通しのこと。博徒は「仁義を切る」ともいう)し、土地の祭りの一角でコロビの商売を許されている。
このアイツキは、最近ではナカナカ見掛けなくなったが、テキヤの稼業人は、これが出来ないと一人前ではない。さらに、一歩作法を外れたら、ゴロ(喧嘩)になりかねない剣呑なサブカルチャーである。たとえば、口上を述べる時、一人前のテキヤであれば、左手の親指は他の四本の指の中に折り込んで隠さなくてはならないし、親分もちの場合は、外に置くというような厳格なルールが存在する。
筆者が知る限りでも、アイツキに満足な返しができず、幹部が旅人さんの親分の在所まで詫びを入れに行ったと聞いたことがある。セリフを噛み噛みでもいいから、ひと通り返せないと恥をかく。ヘタをすれば、親分の顔、一家の看板に泥を塗ることになるから、真剣に臨まないといけない。少しばかり大層な解釈をすると、テキヤ一家の鼎(かなえ)の軽重を問われる、刹那の儀式なのである。
話を戻すと、寅さんの業態であるコロビとは、テキヤの業界用語であり、ゴザを広げた上に商品をコロがし「さて、いいかねお客さん、角の一流デパート、赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅オシロイつけたお姉ちゃんから、ください、ちょうだい、いただきますと、5000や6000、7000、一万円はする代物だ。今日はそれだけ下さいとは言わない・・・」などと、流ちょうな口上つきで売るタンカバイ(商売)という伝統的な商売スタイルである。昨今、このような流ちょうなタンカバイは見かけなくなった。
一昔前の昭和中期は、ガマの油売りや、蛇の油で作った軟膏のような薬種を扱うジメ師=大ジメともいう(沢山の人を集める、人=ヒトを集める=シメることからジメという)などが、巧みなタンカの強弱で聴衆を集め、笑わせ、ナルホドと感心させてバイを行ったと、テキヤの頭(かしら)に聞いた。
そのほか、縁日のテキヤの商売にはいくつかのスタイルがある。商品を並べるだけのナシオト(音がしない、大人しいなどの意味で、キャラクターのお面や風船を売る商売)、コロビ(ゴザの上に商品をコロがし、タンカにメリハリをつけて商売する)、サンズン(組み立てた売台で三尺三寸のサイズ、あるいは、軒先三寸はなれた露店からきた呼称であり、タコ焼きや焼き鳥の売台はこれにあたる)、ハボク(植木商)、タカモノ(曲芸、見世物、幽霊屋敷など)、ハジキ(射的屋)、ロクマ(占者)、ヤチャ(茶屋、休憩所)、ジク(籤)などがある。
縁日とテキヤ
寺は、その祀る本尊の縁(ゆかり)の日に法会を催す。すなわち、縁日である。そこから一般の人は、夜店・昼店の出る法会を「縁日」とよびならわすようになった。神社もまた、祭神のゆかりで、時を定めて祭祀を行う。年に一回のものもあれば、春秋のものもある。夏は一般的に多い。これらは例祭(たかまち)で、ほかに大祭がある。
こうした寺社における法会、例祭には人が集まるから、参詣に往復する人を当て込んで、露店が並ぶようになった。参詣に来た人がお参りし、お賽銭をあげ、神籤を引く。帰りには露店で喫食し、子どもの玩具を買う。これで、寺社の側と、テキヤの側とが共に儲かるという計算である。さらに、寺社側は、テキヤからショバ代(場所貸し代金)を、奉納という形で取るわけだから、いい商売である。電気代も三寸一台あたりでいくばくかの代金を集めていたが、これについては、テキヤ側と寺社側の取り分がどうなっているのか、筆者は知らない。