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(文:仲野 徹)

 すごい本だ。もしこれが小説なら、荒唐無稽と片付けられてしまうに違いない。ノンフィクションの醍醐味をこれほど味わえる本はない。今年最高の1冊と断言しよう。

 旧ソ連、ウクライナ生まれの女性狙撃手、リュドミラ・パヴリチェンコの自伝である。軍需工場で射撃の経験があったリュドミラは、ドイツ軍のソ連侵攻の翌日、狙撃兵としての入隊を志願する。軍における女性の仕事は衛生兵しかないとされていた中、パヴリチェンコは狙撃兵としての任務につくことになる。

 経歴だけで、その能力が秀でていたかがわかる。第二次世界大戦の初期、わずか一年ほどの間に狙撃して死にいたらしめた「確認戦果」は309名。おそらく実数は500名にのぼり、うち36名は狙撃手だったともされている。この数がいかにすごいかは、まず狙撃手がどのようなものかを知らねばならない。使うのは機関銃ではなくてライフルでの一発勝負だ。

“前進する敵戦線の将校をひとり排除し、それによって敵の攻撃を阻止する。”

 戦術上、極めて高度な軍務なのである。それだけに、狙撃手は敵の怒りを買う。捕まるやいなや殺される運命にあった。女性の場合は性的な陵辱をうける可能性もあったため、常に自殺用のトカレフを携帯しなければならなかった。

疲弊して、汗も出ないほどです。

 従軍したのは、ソ連軍がナチスおよびルーマニア軍に攻撃され、後退を余儀なくなれたオデッサとセヴァストポリでの戦闘であった。困難な退却戦の中、赫々たる戦果をあげていくさまが淡々と描かれていく。狙撃が無傷でおこなえたわけではない。敵軍の攻撃により、あわや致命傷という負傷をなんどかうけている。