(文:仲野 徹)
我々の体は、250~300種類、37兆個にもおよぶ細胞からできている。しかし、その複雑な構造は、精子と卵子が融合してできた受精卵たった一個からつくられてくる。受精卵が分裂し、さまざまな機能を持つ細胞へと分化し、適材が適所へと移動する。そして、相互に作用しながらさまざまな生命機能を営んでいる。
不思議だとは思われないだろうか。外部から栄養分が与えられるとはいえ、つきつめて考えれば、受精卵が単独で、最終的に極めて複雑な人体を作り上げるのである。いいかえると、たった一個の細胞の中にすべてが詰め込まれているというこだ。いったいどうなっているのか。
完成形の設計図があるわけではない
複雑なものが作られるとき、最初から完成品がポンとできるわけではない。そのためには、材料と、そして、比喩的な意味としてではあるが、何らかの指示書が必要である。生物の場合に必要な材料は、タンパク質、糖質、脂質、そして核酸だ。最後の核酸は、三大栄養素である前の三つに比べると馴染みがうすいかもしれないが、遺伝情報を蓄えているDNAと、そのお友だちみたいな分子RNAのことである。
何かを作る時の指示書には、おおきく二通りある。ひとつは、建築の設計図のようなもの。そして、もうひとつは、料理のレシピのようなものである。受精卵に、最終的なヒト完成形の設計図など存在しない。たとえあったとしても、どの目が読み取るのだ。だから、発生の指示書は、レシピあるいは手順書とでもいうべきものにならざるをえない。
しかし、これも、当然のことながら、実際に手順書を読みながら進められるわけではない。外部から手を加えるのではなく、細胞自身が自律的に、あたかも手順書を読むかのように、変化していくのである。