一方、アンワル氏も「国会議員復帰後、最初の外遊先に中国を選んだ。今日、中国の成功は、周辺国が羨望するほどで、この訪問で私も中国の成功について学びたい」と約10年間、マレーシアの最大の貿易相手国となった中国を持ち上げた。
中国問題の専門家は「アンワル氏の中国訪問は、マハティール氏の登場でギクシャクした対中国関係に新たな光を投下し、アンワル氏と王外相は、友好的な関係を築いた」と分析する。
アンワル氏は、筆者とのインタビューで「中国との関係の重要性」を語るとともに、外交関係で重要な国は、中国と日本などを挙げている。
同氏は、マハティール氏と同じくナショナリストで、ナジブ前首相のように中国に対し、売国的行動をすることはない。
しかし、日本は、マハティール氏が前回、首相を辞任した際、準備期間が1年ほどあったにもかかわらず、後継者のアブドラ首相への対応が不十分で、アブドラ政権と日本政府の関係は、良好ではなかった。
マハティール氏の路線を受け継ぐと見られたが、実際は「脱マハティール路線」を走り、日系企業や日本政府は辛酸を嘗める事態となった。
当時の奥田碩経団連会長(当時トヨタ自動車会長)が投資促進ミッションでマレーシアを訪問した際にも、クアラルンプール国際空港に到着していながら「アブドラ首相との会談の申し入れの返事が取れない」ということもあった。
また、御手洗冨士夫経団連会長(当時キヤノン会長)がマレーシアを訪問した際も、アブドラ政権の対応の不手際で御手洗会長が立腹したとされる。その当時の日本の首相は安倍首相だった。