宮下 そう。実際大変だった。でも一番取材が大変だったのは日本ですね。
安楽死が認められていない日本でも、患者さん本人やその家族の願いを聞き入れて、患者を安楽死に至らしめた医師がいて、彼らは裁判で殺人罪に問われている。そういう医師に改めて取材しようとしたんだけれど、日本人の医者は、やっぱり口が固いし、ここで何か発言したらまた大変なことになっちゃうから、誰も取材受けようとしてくれないんですよね。
川内 そういうお医者さんたちが体験してきたことを考えれば、取材を受けるのは慎重にならざるを得ないんでしょうね。
現代アートの巨人と普通のおっちゃんの友情
宮下 川内さんが今回、『空をゆく巨人』で受賞した開高健ノンフィクション賞は未発表作品が対象の賞だから、これから単行本になるとのことですが、どんな取材をされた作品なんですか。現代アートの巨人・蔡國強さんのことを書いたとは聞いているけど。
川内 私、旅をテーマにした記事をネットのメディアで連載しているんです。それで3年ぐらい前、母の実家がある福島県のいわき市に行く用事があったので、そのついで取材できるテーマはないかなと知り合いに聞いたら、「いわき回廊美術館っていうのが出来て、これがすごく良さそうだよ」って教えてもらったんです。
調べてみたら、志賀忠重さんっていう地元の方が関わっているということが分かったので、電話して「取材したいんですけど」ってお願いしたらすぐ断られた。「取材はダメだ。そもそもどんな媒体なんだ」って。ちょっとムッとしながら、「旅をテーマにした媒体で、一応ものすごくたくさんの読者がいます」って伝えたら、「じゃあ、それ読んだら人がたくさん来ちゃうから、なおさら駄目だ」って(笑)。それが逆に、人に来て欲しくない美術館ってなんだろう、なんか面白いおじさんだなと思ってきちゃって。
電話で話してるうちに、「じゃあ、あまり人が来たくならないように書きますので」ってお願いしてみたら、「まぁ、じゃあいいか」ってことになって伺うことになったんです。
拡大画像表示
で、実際にお会いしたら、想像していた以上に面白い人で。日本人でこういうスケールの人がいるのか、というくらい規格外の方なんです。で、その志賀さんの人柄に魅了されて、いわき通いをしているうちに、あの蔡國強さんにお会いする機会もできて。
宮下 蔡國強さんは、世界的に有名な芸術家でしょう。その蔡さんとその志賀さんはどういう関わりがあるの?
川内 蔡さんは、文化大革命の時代の中国で少年時代を過ごし、29歳のときに来日したんだけど、無名の芸術家だった蔡さんを支えたのがいわきの人々だった。蔡さんは今やグッゲンハイム美術館やプラド美術館など世界最高の美術館で展示をしていますが、最初の美術館の個展もいわき市立美術館でした。その個展のときも、たくさんのいわきの人々が蔡さんの活動をバックアップし、また蔡さんも4カ月だけですがいわきに住んでいました。
志賀さんは、そのときに蔡さんが親しく付き合った1人。志賀さんは普通の農家の5人きょうだいの末っ子として生まれて、地元で事業をしている人です。
2人ともごくごく普通の家庭に生まれ、それぞれ場所は違うけれど自分の意思で未来を切り開いて、すごくドラマチックな人生を送ってきた。そして世界的なスーパースターになった蔡さんと、作業服を着た普通のおっちゃんである志賀さんという対照的なふたりが、「美術」を通じて深い友情を築き上げてきた。その2人のユニークな関係を目の当たりにしたとき、「人間ってこれほど可能性に満ちあふれていて、こうも自由に人生を切り開くことができるものなのか」ってものすごく感動しちゃったんですね。
宮下 回廊美術館っていうのも、蔡さんと志賀さんの共同作業で作ったわけ?
拡大画像表示
川内 そうですね。志賀さんを中心に、植樹ボランティアの人々や、蔡さんのアーティスト活動を支援してきた「いわきチーム」の人たちが活動の主体になっています。
回廊美術館は、山に160メートルの回廊を作り、さらにいわきの海岸から引き揚げた廃船をもとにした作品「迥光-龍骨」が展示されていたり、「再生の塔」という作品が作られたりしているんですが、めちゃくちゃ自由な美術館なんですよ。
拡大画像表示
宮内 美術館が自由?
川内 そうなんです。その土地の周囲では、250年をかけて9万9000本の桜を植樹する「いわき万本桜プロジェクト」(志賀忠重さんがプロジェクトの代表)も進行しているのですが、その土地も志賀さんが60人の土地所有者を説得し、無償で借りているものです。また、大きい声で言っていいのか分からないけれど、いわき回廊美術館自体は、建造物ではなく、「大きな美術作品」という位置づけなんです。志賀さんも蔡さんも、「大きな作品です」って
宮下 え?
川内 小高い山の上に、高さ18メートルの塔とか十数メートルのつり橋とかもあったり。私、まあまあ普通の人だから「こんなに大きなものを勝手に作っちゃって大丈夫なんですか?」って聞いたんですけど、「何か言われたら、そのときに壊せばいい」っていう感じで。相当なお金をかけて作っているのに、規制とかにとらわれないで、自分たちがやりたいことに、やみくもに突き進んでいる60代のおっさんたちってすごくカッコいいなって思うんですよ。
それに、およそ60年という人生の中で、彼らが見てきた日本と中国、アメリカはどういう世界だったのか、その時代を生きるっていうのはどういう感じなのかっていうのを知ってみたくなった。それで取材が始まったんです。