「ジャーナリズムは人を幸福にするためにある、というのが僕のスタンス。そこで、人の幸福って何かと考えていくと生と死に興味が向いていくんです」(宮下)。「ものすごく共感します。たぶん幸せって、その人らしく生き、その人らしく死ぬことだと思います」(川内)

2018年、ともに大きなノンフィクション賞を受賞した宮下洋一氏と川内有緒氏。かたや「安楽死」、かたや「現代アートの巨人」をテーマにした作品なのだが、意外にもそこで追求するテーマは同じだった。現代社会の中で「人間にとっての幸せ」とは何か、ノンフィクションはそこをどう切り取るべきなのか。10年来の友人でもある2人が語り合った。(構成:阿部 崇、撮影:NOJYO<高木俊幸写真事務所>*蔡國強氏、作品以外​)

人間の幸福について考えると「生と死」に辿り着く

宮下 川内さんと知り合ったのはもう10年くらい前のことかな。

川内 それくらいですね。

宮下 最初に知り合ったのは、ライターをしている川内さんのご主人(川内イオ氏)の方だった。バルセロナでサッカーの取材をしているとき、やはり取材できていたご主人と仲良くなって、「実はうちの奥さん、パリに住んでいるんだ」と聞かされたんですよ。

川内 当時、私はパリで国連職員として働いていたんですが、旦那から「すごく面白いジャーナリストがいるよ」と教えられました。3人で初めて会ったのもバルセロナでしたね。

宮下 川内さんはその後、国連を辞めライターに転身して、今年『空をゆく巨人』で、開高健ノンフィクション賞を受賞されました。おめでとうございます。

川内 ありがとうございます。宮下さんも先日、『安楽死を遂げるまで』で講談社ノンフィクション賞をとられましたよね。とても刺激を受けました。

 ところで、宮下さんがこれまで取り組んできたのは生殖医療や安楽死っていう一見重いテーマですけど、そのテーマはどうやって決めているんですか。

宮下 僕の場合、基本的にはジャーナリズムを追求していきたいと思っているんだけど、僕にとってジャーナリズムは「人を幸福にするためにある」というのがそもそものスタンスなんです。そこで、人の幸福って何だろうと考えていくと、自然に生と死に興味が向いていくんです。

宮下洋一:1976年、長野県生まれ。米ウエスト・バージニア州立大学外国語学部卒業。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールでジャーナリズム修士。スペインの全国紙で記者経験をし、フリーに。6言語を駆使し、フランスやスペインを拠点に世界各地を取材。『安楽死を遂げるまで』(小学館)で講談社ノンフィクション賞受賞。『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』(小学館)では小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。

 だから『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』(小学館)は、単なる不妊治療の本ではなくて、多額のお金をかけて子どもをつくることが夫婦にとっての幸せなのかっていうメッセージを込めた本だし、『安楽死を遂げるまで』なら、その人にとっての幸せな死に方っていったいなんだろうという問いかけの本なんです。

 つまり、テーマは異なっていても、その底流にあるメッセージは一緒なんですね。

川内 すごく共感します。「幸せとは何か」っていうのは、私の中でもものすごく大きなテーマ。そして私は、たぶんそれは、その人らしく生き、その人らしく死ぬっていうことだと思っている。

 一昨年出した『晴れたら空に骨まいて』(ポプラ社)は、亡くなった家族や友人をどうやって見送るかっていうことをテーマにした本です。慣習にとらわれず、その亡くなった人にふさわしい、ユニークな見送り方をしている人たちを取材しました。そして、その亡くなった人は、どう生きてきて、どう死んでいったのか、また残された人はその後をどう生きているのかをまとめた一冊です。

川内有緒:1972年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業後、米国ジョージタウン大学で修士号を取得。コンサルティング会社、シンクタンク、仏の国連機関に勤務後、フリーのライターに。2013年『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』(幻冬舎)で、第33回新田次郎文学賞を受賞。2018年『空をゆく巨人』で、第16回開高健ノンフィクション賞受賞。その他の著書に『パリでメシを食う。』(幻冬舎)、『パリの国連で夢を食う』(幻冬舎)、『晴れたら空に骨まいて』(ポプラ社)など。

 死っていうのは生の延長線上に必ずあるものだから、その人らしい死に方、送り方ってあるんですよね。で、人はなぜ生きるのかといったら、やっぱり幸せを追求するためだと思う。だから私は、その人なりの幸せの追求の仕方を描きたいなって思うんです。

 というのも、たぶん自分でも自分の幸せになる道を模索しているからなんでしょうね。実は国連職員として働いていた時、それほど幸せを実感できなかった。望んで就いた仕事だし、面白いこともいっぱいあったんだけど、「60歳までこの生活が続いたら、きっと自分は不幸になるだろうな」っていう感覚があった。

自分で死に方を選べる安楽死は果たして幸福な死なのか

宮下 じゃあ、辞めようと思ったらすっぱり辞められた?

川内 自分でも意外なほど未練はありませんでした。

 それから書く仕事を本格的に始めるようになりますけど、「自分は何を書きたいのか」と考えたときに、やっぱり自分らしく人生の選択をしていくことに行きついている。書いていくと必ず出てきてしまうテーマと言ってもいい。きっと、ずっと自分の中でくすぶり続けた思いなんだと思います。

 だからさっきの宮下さんの「ジャーナリズムは人を幸せにするためにある」という話を聞いて、私と同じだなと思ってびっくりしました。『安楽死を遂げるまで』は、最初は「安楽死の実態を紹介する本かな」と思って読み始めたんだけど、読み進めていくと実はすごく普遍的なテーマを扱った本なので意表を突かれました。人は自分の死に方を選ぶことができるのか、それができることは幸せにつながるのか、そういう問いかけが詰まった本ですものね。

宮下 そうなんです。ただこの本を書いて1つ困ったことがあって・・・。それは「死にたい」と思っている人からたくさん連絡が来るようになってしまったことです。「私の兄を何とかしてください」とか「スイスに行って安楽死させてもらうにはどうすればいいんですか」みたいな相談が本当にたくさんくる。

 でもそういう問い合わせには答えていません。僕は安楽死のアドバイザーになろうと思っているわけでもないし、ましてや安楽死を勧めているわけでもない。このテーマを通じて、人間の幸せとは何かを考えてもらおうと思っているわけですから。

川内 そうですよね。それはノンフィクションの書き手の仕事ではないですもんね。

 それにしても『安楽死を遂げるまで』は労作ですよね。あれは月刊誌の連載を再構成したものでしょう? 毎回、世界各地の安楽死をする人、それを手助けする医師や団体を取材している。アポ取りや取材など、ものすごく大変な作業だったんじゃないですか。

宮下 連載していた16カ月はもう本当に大変でした。毎月の連載なのに、3週間ぐらいアポ取りを続けてようやく取材が決まり、そこから1週間で取材もして原稿も書くっていうことの連続で。常にヒヤヒヤしていましたね。

川内 テーマがものすごくセンシティブだから、簡単に取材に応じてもらえるような人はいなだろうし。ものすごく遠い国にも取材に行っていますもんね。