パンテッレリアからシチリアの本島に戻り、向かったのはエトナだ。エトナ火山は、シチリア東部に位置するヨーロッパ最大の活火山で、その標高300~1200メートルの畑から生まれるエトナのワインは、今やシチリアワインの、いやイタリア全土でも指折りのクオリティワインとして国内外から注目を集めている。冷涼な気候が育む繊細かつフレッシュな味わい、火山性土壌由来の豊かなミネラル感が大きな特徴となる。
世界が熱い視線を注ぐ、シチリアのトップブランド・エトナ
州外の大手ワイナリーから醸造コンサルタントまで新規参入者は多く、現在200以上ものワイナリーがひしめく激戦区。ドンナフガータが参入したのは有名ワイナリーとしては遅い2016年で、エトナでの歴史は始まったばかりだ。所有する8区画35haの畑で、赤のネレッロ・マスカレーゼ、ネレッロ・カップッチョ、白のカッリカンテを中心に栽培している。いずれもこのエリアの土着品種である。そしてこれら土着品種で醸す少量高品質のワインが、シチリアワインの今日の盛隆を担っているのだ。
エトナは以前にも一度訪問したことがあったが、パンテッレリアから移動してくるとやけに都会に感じる。きれいに舗装された高速道路とそこを走る車の多さに圧倒され、その朝に発ったばかりのパンテッレリアがなんだか懐かしくなる。市街地に入ると建物のカラフルさに心が躍り、バールや総菜店の看板を見つけては町歩きも楽しそうだなと思う。車窓からの景色をぼんやりと眺めつつそんな感慨に浸っていると、カターニア空港近郊のホテルを出てから1時間ほどで、山の東側のモンテラグアルディアの畑に到着した。車を降りた瞬間、涼しさに身震いする。時折雨がぱらつく重々しい曇天も、パンテッレリアとの違いを強く印象付けた。テロワールを、肌で感じる瞬間だ。
テロワールと土着品種の掛け合わせで生まれるワインの個性
モンテラグアルディアは、標高700メートルと、エトナの中でも標高の高い一帯に広がる約4haの畑で、主にネレッロ・マスカレーゼを栽培している。樹齢80年を超える古木が多く残るのもエトナの特徴だが、モンテラグアルディアも例外ではない。ぶどうの木はアルベレッロという一株仕立てで、密植栽培されるのがこの地の伝統だ。アルベレッロは、主幹から長く枝を伸ばす垣根仕立てより、根からぶどうの各房までの距離の差が小さくなり、すべての房により均等に養分を行き渡らせることができる。同時に風通しもよくなり、病害のリスクも軽減できる。高い植栽密度により、ぶどうの根が地中で競い合うことで果実の凝縮感が増すのだ。
カッリカンテを栽培するスタテッラの畑へ行くと、景色ががらりと変わった。畑の表面は、真っ黒くゴロゴロとした石で覆われている。山肌に流れる溶岩をせき止めていた壁が長い年月をかけて崩れ、玄武岩土壌を形成。石の合い間をぬって逞しく根をのばし、結果、地中の水をよりよく吸い上げるのだという。
このカッリカンテで醸される白ワインが『スル ヴルカーノ ビアンコ』というワインだ。一番の個性は、品種由来のフレッシュな酸味で、ミネラル感や塩っぽいフレーバーも感じる。熟成すると蜜っぽいニュアンスが生まれ、複雑味がぐっと増すのだとか。滞在中、ほぼ全アイテムに近いドンナフガータのワインをテイスティングする機会に恵まれたが、何か一本を選べと言われたら、個人的な好みでいえばこの『スル ヴルカーノ ビアンコ』を選びたい。ワイン単体でも飲み応え、満足感があり、魚介を使ったさまざまなイタリア料理はもちろん、和食まで、食中酒としての可能性をあれこれ考えるのも楽しい。
ツアーの最後にあたるエトナでのディナーは、カジュアルなオステリアが予約されていた。たまたまガラス張りのワインセラーに近い席だったので中を見ると、ドンナフガータをはじめとするシチリアの有名生産者のワインはもちろんのこと、バローロやタウラージといったイタリアの銘醸ワインから、日本でも人気の北イタリア・フリウリ⁼ヴェネツィア・ジューリア州の白ワインなどまでがずらりと並ぶ様子に驚いた。帰国後に、イタリアワイン関係者の知人にこの店の話をすると、「エトナで一番のワインリストを誇る店」とのこと。やはり。現代のイタリアワインの小さなショーケース。国内外からエトナにやってくるワイン生産者や業界関係者、愛好家たちがあの小さな店で杯を交わすのだろう。
ドンナフガータとシチリアワインのはじまりの地・マルサラ
ドンナフガータの畑の中で最大の面積を誇るコンテッサ・エンテリーナへの訪問は叶わなかったけれど、そこで栽培したぶどうを醸造するマルサラのワイナリーには行くことができた。時系列が逆になったが、旅はこのマルサラのワイナリーから始まった。醸造施設に加え、州内5か所の拠点で醸されたすべてのワインの熟成を担う、巨大な貯蔵庫を備えたドンナフガータの旗艦施設だ。
マルサラは、土地の名前でありワインの名前でもある。スペインのシェリーやポルトガルのポルトと並ぶ酒精強化ワイン。ティラミスやザバイオーネソースの材料に使われる料理酒としてなじみがある人のほうが多いかもしれない。今日のようにシチリア産の高品質なワインが注目されるようになったのは2000年以降のことで、それまで「シチリアのワイン」と聞いて人々が思い浮かべるのは「マルサラ」だった。シチリアワインの歴史を語る上で欠くことができないマルサラだが、ドンナフガータにとっても然り。創業者一族は1800年代からマルサラ造りに携わる家で、四代目のジャコモ・ラッロ氏が高品質なワイン造りを志しドンナフガータを創業したのだ。
シチリア州内の各産地の位置関係を表す地図やそれらの写真、美しいエチケットの原画などが展示されたマルサラのワイナリーは、「ドンナフガータ ミュージアム」というべき楽しさ。壮麗な建物、意匠のすみずみまで名門の気品にあふれている。このワイナリーの扉は、世界中の愛好家に開かれている。ドンナフガータは、1990年代と早くからワインツーリズムにも力を入れてきたワイナリーとしても有名だ。
ワイン造りでは、地域の伝統に倣い、ぶどう栽培と醸造の卓越した見識、技術を確立し、土着品種によるクラフトマンシップにあふれるワインでシチリアという産地のブランド化に貢献してきた。一方で、食やワインを愛する旅人を美食や知を共有するさまざまな試みを実践し続けている。
2023年は80か国からの外国人観光客を含む29,000人がドンナフガータのワイナリーを訪れたという。地域活性の面でも、大きな立役者ということ。ワイン愛好家はもちろん、イタリア好き、旅好きなど多くの人に、機会をつくって、ぜひドンナフガータを基点とした旅を体験して欲しい。
マルサラでは、ワイナリーからすぐの場所にある塩田「サリーネ・エットーレ・エ・インフェルサ」にも案内してくれた。フェニキア人の統治時代に起源を持つこの塩田で獲れる塩は、純度が高いことで知られ、夕日に照らされた結晶のきらめきは美しかった。いうまでもなく塩は、食材を、人間が食し喜びを得ることができる“料理”にするために、まずもって欠かすことができない調味料である。遠くのほうには、今も手作業で製造を行う人々のシルエットが見えた。“命の水”であるワインと、塩と。青い空や美しい海の景色にはしゃぎ、バラエティ豊かなワインを料理とともにこれでもかと味わい尽くす旅を存分に楽しんでなお、シチリアという土地の根源的な豊かさや厳しさ、そこに生きる人々のことがいつまでも頭を巡り続けている。
https://www.donnafugata.it/en/