「履歴書が汚れる」という言い方に驚いたのは、もう10年以上も前のことになる。雑誌『サピオ』(小学館)での連載記事を『成功への転身』(大村書店)という単行本にまとめたのが1998年のことで、その取材過程でのことだった。
どうでもいいことだが、『成功への転身』は装丁を間違えてしまい、実にページをめくりにくい出来になってしまった。「読むことを拒否する本」(岡本太郎の立体作品「座ることを拒否する椅子」にかけたらしい)と知り合いに笑われたことすら。
その『成功への転身』のテーマは「転職」で、今でこそさほど驚かないが、転職は当時、まだまだ珍しがられていた。それでも30代や40代という中堅層にも転職組が増え始めていたので、転職を経験した30代に的を絞ってインタビューし、本にまとめたのだ。
「我が子が転職するなんて」と恥じる親
その取材で聞いたのが、「履歴書が汚れる」という言い回しだった。インタビューさせてもらった人の大半が、転職するにあたって、「履歴書が汚れる」からと親や周囲に止められたという。
戦後の日本的経営の特徴は終身雇用だったので、学校を卒業して就職してしまえば、会社人間としての履歴書には在籍した企業の名前は1つだけしか記されないことになる。それが「まっとうな生き方」だったし、「きれいな履歴書」だったのだ。
しかし転職すれば、履歴書に記入される在籍企業は複数になる。それは終身雇用という「常識」からすれば「美しくない履歴書」であり、「汚れている」と見られてしまうことになるのだ。
だから転職に対して、親をはじめ周囲は反対する。履歴書が汚れるということは「まっとうな生き方」ではないから、そんな道を我が子が選ぶなど信じられないし、とても許すことなどできないというわけだ。反対することこそ「まっとうな親」の役目だったのだ。現段階でも息子や娘の転職に反対する親が多いのは、その終身雇用の「常識」を引きずっているからである。