外国貨物の保管が認められるこのフリーゾーン倉庫は、厳密に言えば保税倉庫と異なる点もあるものの、納品時間の短縮や資金繰りの改善が見込めるという意味で、物流業者にとって非常に魅力的だった。

 さらに、予定通り「非居住者在庫」、すなわちミャンマーに登記していない企業の商品の保管も認められれば、トレーディングライセンスを持っている地元企業と代理店契約を結び商品を流していた外資のサプライヤーがミャンマーへの本格進出の足がかりとして利用することも可能になり、輸送サービスの提供先が広がることも期待された。

 善兵衛社長の帰国から3カ月後、民間の投資ツアーに参加してティラワを訪問した智昭さん自身もこれらの可能性を実感し、2014年7月、ミャンマーに渡った。

「広い世界見せたい」と願った父

大善の倉庫

 もっとも、智昭さんと尭昭さんの生い立ちを聞いていると、大善がミャンマー進出を決めた背景には、父・善兵衛氏の熱い思いも透けて見えてくる。

 智昭さんは、小学校5年の時に弟の尭昭さんと一緒に渡英。大学を卒業するまで13年にわたって全寮制の学校で教育を受けた。

 まさにグローバル人材のキャリアそのものだが、これは大学時代に指導教官に連れられて英国を訪問し、強い衝撃を受けたという善兵衛氏の計らいだったという。

 智昭さんは次のように父親の思いを推し量る。

 「父自身、かつて小学校卒業と同時にいったん福島を離れ、東京の中学校に進学した経験の持ち主。狭い喜多方の世界だけでなく、広い世界を見聞する大切さを身をもって知っていたからこそ、息子たちを早くから海外に出してくれたのかもしれません」

 「ミャンマー進出を決めた理由の一つには、海外拠点を設けることで我々が思い切り活躍できる環境を整えてくれようとしたこともあると思います」

 一方、「やりたいことをやりなさい」と言われて育った次男の尭昭さんは、大学を卒業後、エネルギー大手の日本企業に入社し、タイの天然ガス採掘現場でマネジメント業務にあたっていた。