ひかわきょうこの描くヒロインは、かわいい容姿に似合わず、芯が強く非常にポジティブなのが特徴だ。激変した環境に身を置く理由もわからず、言葉も通じなければ、モンスターと敵におびえる世界。しかし彼女は、今の自分にできることを一つひとつ積み上げていくことで、不安な状況に対峙する力を身につけていく。将来が見えなくても、現実と真摯に向き合う姿勢が新たな扉を開いていくのだ。

大島弓子 夏のおわりのト短調

 最後の1作は、上編で紹介した萩尾望都・山岸涼子と同じく、24年組の一人、大島弓子の『夏のおわりのト短調』を紹介したい。

 大島弓子の作品は、擬人化した子猫が登場する『綿の国星』(わたのくにほし)や、後にTVドラマや映画にもなった『グーグーだって猫である』などがよく知られている。今回とりあげる『夏のおわりのト短調』は100ページほどの短編で、ある女子高生のひと夏の経験を通して、大人の世界へ脱皮していく過程を描いた作品である。

 正直なところ、初めて少女マンガを読んでみようかという方に、最初の一冊として大島弓子作品を薦めるのは、ややためらいがある。だが、「これまで経験したことのないものに出会う」のが“人生のリセット”だとするなら、それに最もふさわしい作家と言ってもいいかもしれない。

 デリケートで傷つきやすい若者たちや、あるいは大人になり切れなかった大人たちの内面から出る言葉や行動が、誌面上に所狭しと散りばめられ、あらゆるものが混沌とした中で、先の読めないストーリーが展開する。読み終わった後も、「この人物が何を意図して行動したか」がつかみきれない。大島弓子とはそんな独特の魅力を持つ作家なのである。

 主人公の袂(たもと)は、受験を控えた高校3年生。両親が海外赴任で日本を離れている間、母の妹である蔦子叔母さんの家で暮らすことになったところから、物語は始まる。以前からあこがれていた古い洋館に住まう素敵な叔母一家との暮らしで、何か自分にもよい変化があるかもしれないと期待する袂だったのだが・・・。

 本作の主人公の袂は、きわめて真っ当な少女らしい感性で、蔦子叔母一家に溶け込んでいこうとするが、何かがかみ合わない。誰もが秘密を抱え、表面上とりつくろっていることへの違和感で、小さな不協和音が次第に大きくなっていく。登場人物のたくさんの想いが交錯し、すれ違っていった果てに、蔦子叔母さんの想定外の行動で、物語は収束に向かう。

 本当の幸せは足元にあったと皆が気づきました、めでたしめでたし・・・というほど、人の心は単純ではない。大事なことに気が付くために支払った代償には取り返しのつかないものもあり、それだからこそ思慮深く人生を大事に生きなければならないと、袂の心に深く響く。それまで小さな不満やモヤモヤを抱えながらも長調の調べの中で生きてきた主人公の胸に、微かな不協和音を奏でる調べが加わる。夏の終わりとともに、無防備だった少女時代への別れの時を知るのだった。

 ストーカー・ドラッグ中毒・不倫と、さまざまなダークな内容が詰め込まれている。それでも、小鳥のさえずりと木漏れ日と、空から天使の羽が落ちてくるような美しく切ない大島弓子の描く世界観は決して揺るがない。

 大島マンガは、読み手によってさまざまな解釈ができるところが、大きな特徴の一つ。筆者の解釈とは違う感想も持つ方もいるだろう。正解は一つではない、それもまた自分の人生を振り返るときの指針となるだろう。