本土復帰した沖縄で産業の柱になった果物

シークヮーサーと沖縄の人々の“共生”(前篇)

2018.02.09(Fri)漆原 次郎

 その後も、柑橘類は天皇や朝廷にとっても価値の高いものだったことがうかがえる。聖武天皇の時代には725(神亀2)年、播磨弟兄(はりまのおとえ)が唐から 「大柑子(おおこうじ)」を持ち帰った業績で叙位を受けたという。また、平安中期の律令の細則「延喜式」にも、各地から献上品として「甘子」や「橘子」が記されている。「橘子」は日本原産のタチバナのではないかともされる。

神歌にも詠まれた長寿延命の木

 本土と離れた琉球(沖縄)には、人々と柑橘類の独自の関わりがあった。当地には1531〜1623年にかけて編纂された「おもろさうし」という古琉球の神歌集がある。この中に柑橘類を詠んだ歌が見られる。

「黄金木(こがねげ)の下で」という歌では、「黄金木」つまり柑橘類の木を植えたところ、木の下で「按司(あぢ)」という王家の近親が踊る見事さがあった、と歌われる。

 東京農業大学の杉原たまえは、「おもろさうし」には柑橘類の歌が「数首記載されている」と述べ、「太陽の霊力を受けて長寿延命の霊力が宿る神木として扱われていた」と指摘している。

語源は「酸い食わし」「九年母」「黄金」

 カタカナで表現されがちな柑橘類関係の沖縄言葉も、その語源を探ると深いゆかりがあると気づかされる。

 まず「シークヮーサー」。もともと酸味や香りのある小ぶりな柑橘類全般を指していたもので、「シー」は「酸っぱい」を意味する「酸い」、また「クヮーサー」は「与える」を意味する「食わし」から来ている。合わせて「酸い食わし」となる。

 沖縄の地域研究をする当山昌直が、佐敷村(いまの南城市)で1934(昭和9)年に生まれた知念盛俊から聞き取ったところでは、シークヮーサー(ここでは種としてのヒラミレモン)は食べることのほか、沖縄などで特産の織物「芭蕉布」に汁を酢として与えて、緩んだ繊維をしゃんとさせるためにも使ったという。芭蕉布に「酢を食べさせる」ということで「シーククヮースン」と表現したそうだ。同様の用途では米酢なども使われるが、高価なので代用としてシークヮーサーの汁も使われるようだ。

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る